阪神大震災で倒壊の彫刻画30年ぶりに公開へ…小松左京・野坂昭如ら愛した西宮の喫茶店
作家の小松左京や野坂昭如が通った喫茶店が兵庫県西宮市にあった。その名は「ラ・パボーニ」。店主が制作した彫刻画が壁や天井を飾り、その下で文化人が語り合った。店は阪神大震災で倒壊し、救い出された作品は倉庫に眠っていたが、店や芸術を愛する人らの手によって今春にも、約30年ぶりに公開される。(三田支局 竹村文之) 【写真】壁や天井が彫刻画で埋まる「ラ・パボーニ」で語り合う野坂昭如(左)と大石邦子さん(1981年、兵庫県西宮市で)=福井さん提供
大阪市出身の画家大石輝 さん、邦子さん夫妻が1934年、現在の阪急夙川駅近くに開店。南欧風のモダンな店構えが特徴だった。 戦時中も営業を続け、空襲を免れると、輝一さんは戦後、店内を彩る作品の制作に没頭した。漆喰を塗り重ね、グレーで統一した喫茶室の壁や天井をキャンバスに見立て、群衆や動物、星、花の彫刻で埋め尽くした。隣室はピンクを基調に彩色し、「花売り」と題した大作を仕上げた。 店には、作家の遠藤周作ら芸術・文化を愛する人々が集った。画家の山下清が輝一さんと意気投合し、投宿したと伝わる。
小松左京が阪神大震災の被災地を取材した著作「大震災’95」には「モダンな喫茶店だった」とパボーニを思い返す記述があり、野坂昭如の「火垂るの墓」にもこの店が登場する。野坂はウイスキーのグラスを傾けながら「ホッとする空間。このまま保存せなあかん」と語っていたという。 72年に輝一さんが亡くなった後は、邦子さんが店を切り盛りしていたが、震災で全壊の判定を受けた。作品の大半は部分的な損傷にとどまったため、親族やファンが搬出。展示の機会を得た一部を除いて、保管のため梱包された。邦子さんは震災の3年後に亡くなり、そのまま歳月が流れた。
「パボーニの彫刻画をよみがえらせよう」。震災30年に合わせて、そんな計画が持ち上がった。邦子さんの親戚で、震災翌年からパボーニの後継店を大阪市内で営んできた福井英乃さん(70)らが中心となり、昨夏、大阪市内の倉庫に残っていた彫刻画25点を確認した。亀裂が入っていたため、補強した上で、今春の公開を目指している。 輝一さんは生前、「芸術の理想郷をつくりたい」と、兵庫県三田市にアトリエ「アートガーデン」を開いていた。そこを展示会場とする計画で、施設の再興に取り組んでいるNPO法人「さんだアートガーデン」が協力する。 福井さんは震災前のパボーニに足しげく通い、働いていた時期もある。長年「いつか復活させたい」と思っており、店を愛した人たちや福井さん自身も高齢化する中、店や震災の記憶を風化させたくないと、動き出した。「阪神間の文化の拠点だったパボーニの雰囲気を伝え、多くの人が震災を思い出し、次の世代につないでいく機会になれば」と力を込める。