「アッコにおまかせ!」終了説が出た和田アキ子の限界 強面キャラが本物の権力者として批判されるように
1968年に出したデビュー曲『星空の孤独』は期待していたほど売れず、和田はますます苦悩を深めていた。だが、2曲目にリリースした『どしゃぶりの雨の中で』がヒット。その後、『笑って許して』『あの鐘を鳴らすのはあなた』などのヒット曲が次々に飛び出して、和田は一気にスターダムに躍り出た。 ■ヒット曲が出た後もイジメに遭う しかし、ぽっと出の新人歌手に対して芸能界の先輩たちは厳しかった。当時の楽屋は、一部の大御所以外は男女別の大部屋が当たり前。男性のように図体の大きい和田は先輩たちから「男がいるから着替えができないわ」と嫌みを言われたり、わざとお茶をこぼされたり、靴にマジックで「バカ」と書かれたり、といったイジメに遭った。収録中にも、ある男性歌手に「お前がいると俺の背が低く見えるから、俺の横に並ぶな」と言われ、蹴飛ばされたりしたこともあった。
壮絶なイジメにも負けず、和田は歌手として確実にステップアップしていった。そして1973年、彼女のキャリアを決定づける1つの番組が始まった。一時代を築いた伝説的なバラエティ番組『金曜10時! うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系)である。 ここで和田は、ゴッドファーザーをもじった「ゴッド姉ちゃん」に扮して、子分役のタレントを鍛えるためにさまざまな企画を仕掛けていく役割だった。ハリセン片手にせんだみつおら共演者を追いかけ回し、高圧的に振る舞うのだが、時に反撃されてひどい目に遭う、というアドリブ要素の多いコントだった。
この番組は、のちにバラエティでは当たり前になったドッキリ企画やリアクション芸の元祖とも言えるものだった。リアクション芸には、リアクション芸人と権力者の存在が欠かせない。のちに芸人たちもこの手の企画を多数手がけるようになったが、そのルーツはこの番組の和田アキ子にあると言っても過言ではない。 『うわさのチャンネル』は視聴率30%を超えるオバケ番組となったが、この番組で「和田アキ子=乱暴者」というイメージがすっかり定着してしまった。さらに、和田と親しい芸人たちが彼女の恐ろしさについてあることないことしゃべりまくったために、噂に尾ひれが付いて広まっていき、和田はますます恐れられるようになった。