「顔を殴られて失神、歯が2本折れた」父の暴力に耐えかねて17歳で家出した女性が、“生きる選択”をするまで
「タオルで首をくくりました。でも結局…」
不幸は重なり、コロナの影響で飲食業の仕事は解雇。家賃も払えず、心の拠りどころを失った彼女だが、「体を売るという選択はできなかった」と当時を振り返る。 「うつ病は悪化していったけど、父親に連れ戻されるほうが怖かったので、ネカフェで過ごしながら違法営業のコンカフェで働いていました。月20万円の稼ぎも固定費と借金を引いたら手残りは2万円でしたが」 生きづらさは日に日に募っていき、小松さんは次第に自殺を考えるようになっていく。 「ホテルの一室でブルーシートを敷いてから椅子に上って、タオルで首をくくりました。でも結局、締めつけが弱かったようで体重に耐えきれなくて、床に落ちて気絶していた」 そんな彼女が今も生き永らえている理由は、初めてできた友達の存在があったからだ。 「死のうとする前日、最後の日を楽しい思い出にしたくて行ったライブで、偶然友達ができたんです。私の過去を知っての同情以外で付き合ってくれる友達って初めてだった。だから、(自殺が失敗して)目が覚めたとき、その友達の顔が浮かんで申し訳ない気持ちになったんです。そしてもう少しだけ頑張ってみようかなって」
「父親に対する怒りに縛られて生きるのは時間の無駄」
生きる選択をしたからには、人生を再出発したいという一心で上京したという。 「今はゴミ回収作業員の派遣バイトをして稼ぎは月10万円ぐらい。新宿区にある月3万9000円のシェアハウスで暮らしています。私が父親の行いを許すことは一生ありません。ただ、父親に対する怒りに縛られて生きるのは時間の無駄。次に会うのは葬式だと言い聞かせて私の人生を歩むつもりです。地元には家を飛び出した17歳から、一度も帰っていないので寂しさはありますけど」 結婚願望を尋ねると「いつかは好きな人と結婚したいです。でも子供はいらないかな……」と、少しうつむいた。 「虐待を受けた子供は虐待をしてしまうという話も聞くから怖さがある。それに今の私にとって、普通に就職することはハードルが高い。お金がないことで子供の選択肢を狭めて、同じような苦しい人生を歩ませたくないんです」 幼い頃から刷り込まれた負の連鎖を断ち切るには、もう少し時間が必要かもしれない。 取材・文/週刊SPA!編集部 ―[[親ガチャ貧困]の実態]―
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