「生きていることが不思議」戦後最悪の火山災害に遭遇した山岳写真家…御嶽山のありのままを写真に
テレビ信州
10年前のあの日、御嶽山に登っていた1人の写真家がいます。 いまも、変わらずありのままの山を写真に収め続けています。 御嶽山噴火直後の写真です。 とっさにシャッターを切りました。 その時のカメラには今も、火山灰が付いたままです。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「生きていることが不思議」 伊那市長谷で暮らす山岳写真家、津野祐次さん78歳。 信州の山々と向き合ってきた45年の写真家人生。御嶽山に登った数も200回以上。その歩みの中で、10年前、人生を左右する場面に遭遇しました。 2014年9月27日。 その日はガイドブックの撮影のため、御嶽山の山頂を目指していました。 青空が広がる、穏やかな日でした。 ところが、その光景は一変。 午前11時52分。 山頂まであと少し、標高2960メートル地点でとっさにシャッターを切りました。 噴火の瞬間でした。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「すぐ目の前から、珍しい雲がポンと出てきた。反射的に写真を撮った。そしたら、花火が爆発するような音が聞こえて、これは噴火だなと実感した」 そして、2秒後。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「とにかく、少しでも遠くに離れる行動をとらなければと思いました」 逃げながら必死に切ったシャッター。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「あれは恐ろしいですね。すごく速くはないが、確実にモクモクと広がっていく」「後半はどんどん近づいてくる。空の頭の上にのしかかってくる感じでした」 噴煙は、すぐそこまで迫っていました。 そして、一帯は噴煙に覆われ視界がさえぎられました。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「その後、真っ暗になりましたね。完全に暗くなって。強い風が吹いたりして。」 「全身に針がさすような、注射されるじゃないですか、それが全身に一度に注射されるという感じの痛さだった。降灰というか、噴煙に砂が混じってくるんでしょうか」 「僕は必ずこれで死ぬなと。それは何秒後か1分後か5分後かわからないけれど、必ず死ぬなと思いましたね。」 「肌が出ていたので、この辺(腕)がちょっとやけどみたいに赤く腫れあがったという症状はあった。」 Q.それだけ熱風も来た? 「そうだと思います」 かすかに視界がひらけてくると登山道のロープをたよりに近くの山小屋に避難。 そのあと、3時間ほどかけて山をおりました。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「これが、その当時の物なんですけども」 「改めて見てみると震えますね」 【山岳写真家 津野祐次さん】 「硫黄のにおいがしますね」 あの日のザックやジャンバー。 愛用していたカメラは今も火山灰がついた状態で残しています。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「あの時、1年近くは寝ていても体が震えたりしたので、そういうことを思い出しますよね」 「靴やザックやカメラにとっては、皆さんに見てもらって教訓になればという思いは、意識はないかもしれないけどそういうことなのかもしれない」 伊那市長谷に構えるギャラリーでこれからも展示を続けるつもりです。 噴火の直後も山を彩った紅葉。 噴煙を上げる白銀の御嶽山。 火山灰の中でも可憐に咲く花。 そして、ライチョウにも出会いました。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「御嶽山の姿は(噴火後)変わったところがありました。二ノ池は水が全く無くなっていた。山頂も新築された所もあったり、整備が整っている。それから高山植物が8年くらいは住めるような状態ではなかったところも他の花が咲いてきたり変化がある」 噴火が起きたあの日、御嶽山にいたからこそ思うことがあります。 【山岳写真家 津野祐次さん】 「日本の山どこも安全なところはない。安全な季節も時間帯もないといえるが、特に御嶽山は火山であるので、想像を絶する自然の猛威を振いますから」 「最低限度ヘルメットを持って行くとか、(噴火時に)僕の経験としては、真っ暗闇になってしまうので、懐中電灯は持っていた方がいいと思いますね」 牙をむいた噴火も美しい自然の姿も、どちらも御嶽山。 写真家人生45年。 これからもありのままの御嶽を伝えたいとシャッターを切り続けます。