「警察を呼ばれちゃう」来日8年目のインドネシア人が後輩に伝えた日本の「騒音問題」の悲しい現実
「日本が合う」人
インドネシアの人びとの間では、「日本は、内向的な人には合う国」と言われているそうです。 もともと「プライバシーがほしい派」だというデデさんも、日本の暮らしに順応していっており、これからも長く日本で暮らしたいと望んでいます。 理由の一つに挙げたのは「子育てのしやすさ」。社会保障制度が整い、予防接種など医療も経済状況による格差がなく受けられることの素晴らしさを語ります。 社会保障制度が発展途中のインドネシアでは、濃厚な人づきあいを通し、互いの暮らしを支えあっていました。それは「助け合わないと生きていけなかったから」。その反面で「おせっかいが過ぎる」ため、「関係のない人が子育てにアドバイスしてきたりして、わずらわしくもあるんですよね」とデデさん。
直面した「現実」
今、デデさんは、介護福祉士として、その「整った」日本の社会保障制度の一端を担っています。 デデさんは日本とインドネシア政府が結んだ「経済連携協定(EPA)」という枠組みで来日した人の1人。2008年の枠組み開始以来、日本にはインドネシア人だけで4259人が、介護や看護を担う人材として、デデさんと同じように来日しています。 デデさんは来日前にインドネシアで看護学校を卒業し、訪問看護で高齢者のお世話をする仕事もしており、日本の「介護」の大変さは知っているつもりでした。 それでも、やはり「現実」は厳しかったと言います。仕事も残業も予想以上に多かったのです。 「どこでも介護業界は人材不足ですから」 筆者はインドネシア語が理解できるので、インタビューの大半を母国語のインドネシア語で答えていたデデさん。しかし、この言葉はとても流暢な日本語で語ったことの一つでした。
守りたいこと
日本に来たばかりの「後輩」たちを先輩が助ける、週1回のオンライン勉強会では、後輩たちからこんな質問が寄せられます。 「介護福祉士の教科書に載っていることで、現場では実践できないことがあります。どうしたらいいですか?」 たとえば「食事介助」は「ゆっくり」と「飲み込みを確認して」というのが介護のセオリー。けれど、人手が足りない現場では1人で5人~10人もの介助を担うこともあり、「そんなに丁寧にしていられない」という悲痛な叫びでした。 デデさんは来日から4年後、日本の国家試験に合格して、正式な介護福祉士になりました。いまでは、多忙な介助の傍らで、施設の「事故防止委員会」に参加して、職員向けの研修を企画したり、利用者向けの「敬老会」や「ハロウィン」などのイベントも計画したりしているそうです。 「認知症になった人の『権利擁護』。権利を守らないといけない」 「1人の人間として尊厳を持って接すること」 デデさんがインタビューで流暢な日本語で口にする言葉の端々に、人手が足りない〝現実の世界〟で、日本の介護福祉士として守りたいことへの意思の強さを感じました。