映画『悪は存在しない』インタビュー【後編】石橋英子が明かす、濱口竜介監督の音楽センス。
──『悪は存在しない』というタイトルについてはいかがでしたか? ああ、それも濱口さんの素敵な意地悪さが前面に出たタイトルだと感じました。「いや、存在しないわけないじゃん」と言われた時の、濱口さんの顔が思い浮かびます(笑)。もちろんいろんな意味が込められていると思います。たとえば、この映画のテーマの一つである自然は、災害や死をもたらすこともあるけど、本来悪ではない。また、今は何かを悪として決めつけることで自分の安全を確保しようとする、何か薄っぺらい安心感を得ようとする風潮がありますが、その悪のようなものは幻だったりもする。そういった考えも背景にあるんでしょうけど、今のこの時代に、このタイトルをバーンと出すのは素敵だと思います。 ──パンク、ですよね。 最初に『悪は存在しない』の編集を観た時、濱口さんの怒りみたいなものを感じました。メインテーマは、その怒りを感じとって作ったところもあるかもしれません。 ──濱口監督は創作において、偶然性を大事にされている方です。それは石橋さんも同じではないでしょうか? たしかにそう思います。濱口さんの映画を音楽的に感じるのもそういうところです。まるで即興音楽家のように、その場で起きる物事だったり、人間の動きだったり、言葉の言い回しだったり、そういうものに懸けているというか。変容する瞬間みたいなものを待ち望みながら、作品と対峙されているのではないかと思います。 私の人生で一番大事な作品は、ジョン・カサヴェテス監督の『オープニング・ナイト』なんです。年齢やキャリア、さまざまなことを受け入れられない女優が、最後ボロボロのズタズタになりながらも、即興劇を演じる。舞台上でかつての恋人でもある共演俳優と格闘しながら、尊厳を取り戻していく様子が描かれていて。私はこの作品に影響され、勇気づけられてきました。偶然に身を任せてものを作っていくとか、演奏していくとか、人と関わっていくことを大事にしたいと考えています。 ──濱口監督とのお仕事にはどんな喜びがありますか? 濱口さんは私には思いつかないようなやり方で、音楽を配置してくださる。「こうなるんだ!」っていう喜びは、一人でものを作るだけでは得られません。最初にお話しした、ギターからストリングスに移り変わるオープニングのような、ああいう瞬間こそ、このお仕事をしてよかったなと思えます。ご褒美というか……、作っている時は五里霧中で結構苦しいんですけど、それが報われたような気持ちになりますね。 濱口さんはすごくチャーミングな方でもあるので、お話ししていて本当に楽しいんです。やりとりが丁寧で、すごく思いやりがあって、いつもハッとさせられますし、身が引き締まる思いがして、私ももっと頑張ろうと思います。 ●『悪は存在しない』 長野県、水挽町。自然豊かで東京からのアクセスもよく、移住者はごくゆるやかに増えている。そこで生まれ育った巧とその娘、花は川から水を汲み、薪を割るような慎ましやかな暮らしを営んでいた。ある日、近所にグランピング場を作るプロジェクトが持ち上がるが、実態はコロナ禍の不況にあえぐ東京の芸能事務所が、政府からの補助金目当てで企画したもの。環境を汚しかねないずさんな計画に、町民は動揺を隠せない。その影響は巧たちの生活にも静かに、だが着実に及んでいく。 監督・脚本_濱口竜介 音楽_石橋英子 出演_大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子、長尾卓磨、宮田佳典、田村泰二郎 配給_Incline 2023年/106分/日本/カラー/1.66:1/5.1ch Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シモキタ -エキマエ- シネマ『K2』ほか全国順次公開中 © 2023 NEOPA / Fictive ●石橋英子 音楽家。Drag City、Black Truffle、Editions Mego、felicityなど各国のレーベルからアルバムをリリース。2020年1月、シドニーの美術館Art Gallery of New South Walesでの展覧会「Japan Supernatural」のために音楽を制作。2021年、濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当し、World Soundtrack AwardsのDiscovery of the yearとAsian Film Awardsの音楽賞を受賞。2023年、再び濱口監督とのタッグにより、本作とシアターピース『GIFT』の音楽を手がけ、国内外で上演を続けている。
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