映画『悪は存在しない』インタビュー【後編】石橋英子が明かす、濱口竜介監督の音楽センス。
──『悪は存在しない』を制作するきっかけは、石橋さんが濱口監督にライブ用サイレント映像を依頼されたことです。石橋さんは当初から、ライブによくありがちな抽象的な映像ではなく、物語のあるものがいいと考えていたそうですが、それはなぜですか? 海外では映像と音楽を一緒に披露できる、本格的なスクリーンのあるライブシアターが結構あって、そういう公演をやってみないかと海外のプロモーターの方からお話をいただいたことがあったんです。映像を作るのにも時間と労力がかかるので、毎回同じ映像で、即興を交えながら演奏したいとなった時に、抽象的な映像より、具体的な物語があって観るたびに自分の見方が変わるような作品がいいと思いました。 自分自身、映画が好きで、子どもの頃とか若い頃から何回も観ている作品もたくさんあって。いい映画は繰り返し観ても、その日の感情や体調によって見方が変わり、そういった作品に育てられてきたような感覚さえあります。そんなライブ用映像ができたら、一緒に旅していて楽しいし、飽きずに継続していけそうだなと。なおかつ映画音楽の仕事を続ける上で、映像と音楽の関係性を模索するいい機会になるかもしれないと思い、2021年末ごろに濱口さんに依頼したのが最初です。 ──結果的にライブ用サイレント映像『GIFT』と、長編映画『悪は存在しない』がともに完成するわけですけれど、経緯を教えていただけますか? その2作は編集が違っていて、使っている素材が同じところと、違うところがあります。濱口さんにライブ用映像の依頼を引き受けていただいてからは、まず文通のような感じで、メールでお互いに考えたり思いついたりしたことをやりとりしました。 その中で、濱口さんが塵やゴミをテーマにしたいとおっしゃって。私たちは二人ともライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督が好きなんですが、彼は『ゴミ、都市そして死』という戯曲を書いていて、私は日本上演時に音楽を手がけたことがありました。あと濱口さんもゴミ処理場を見学しに行ったりしていたそうなんです。そこから、濱口さんから教えていただいたハルトムート・ビトムスキー監督による『塵』というドキュメンタリーなど、自分なりにいろいろ観てインスピレーションを得た上で、2022年夏ごろにデモを何曲か作って送りました。そのうちの一つは、『悪は存在しない』の中でも使われている、電子音楽のような曲です。 それから9月に濱口さんが、私がよく使う山梨のスタジオにいらして、たまたま居合わせた石若駿さん、マーティ・ホロベックさん、ジム・オルークさんとのセッションを撮影してくださったんです。その後セッションの音に合わせ、既成の素材で作られたデモ映像が届いて。そこで、ちょっと音楽に気持ちを寄せてくださりすぎているように感じ、「音楽のためということを一回忘れ、濱口さんが作りたいものを作っていただくのがいいかもしれません」とお伝えしました。翌2023年1月に濱口さんから脚本が届きまして、それがいわゆる『悪は存在しない』の物語ですね。その時点ではまだサイレント映像しか作らない予定でした。 ──サイレントの予定とはいえ、脚本には当然セリフも書かれているわけですよね? そうです。俳優のみなさんにとってはセリフがあった方が、自然に体を動かして演技しやすいだろうということで。2月から3月にかけて撮影がおこなわれ、その最中にいくつかの映像素材を観て、それをもとにデモとして、ミニマルなストリングスの曲を書きました。劇中に一瞬出てくる、メインテーマともどこかつながりのある曲です。 濱口さんが「サウンド版も作りたい」とおっしゃったのは、撮影が終わり、編集がある程度できてから。もうすごく嬉しくて、『GIFT』のことは一旦置いておいて、『悪は存在しない』の作曲に集中しました。その段階で完成したのがメインテーマですね。 ──メインテーマだけでなく、長編映画ができるとわかっていなかった頃にできた曲の一部も劇中に使われているんですね。 そうです。だから、全部無駄ではなかった。最初に濱口さんと交わしたメールのやりとりも、我ながら「何を書いてるんだろう」と思うような、もうとんでもない内容だったんですけど、今考えると、当時考えていたことからそう離れてはいない作品が出来上がったのかなと、濱口さんともお話ししていました。 ──『ドライブ・マイ・カー』の時は、40曲ほどをまとめて「お好きに使ってください」と送られたそうですが、今回はそれとはプロセスがまったく違いますね。 『ドライブ・マイ・カー』は今回とは違い、事前に与えられていた情報量が多かったので。脚本はしっかりしていたし、スケジュールもシステマティックに組まれていて。その反面、濱口さんとは最初のお仕事で、まだ関係性ができていなかったので、どういう音楽をつけたいかわからなかった。それで、100本ノックのような気持ちで、40曲を作ってみました。普段から、基本的に毎日スタジオで音を出しているので、それをずっと録音しておいて、切り貼りして送るような感じだったんですけど。 ──『悪は存在しない』の音楽について、濱口監督は「石橋さんに委ねるつもりで、かなりオープンなお願いの仕方をした」とおっしゃっていましたが、ご認識は同じですか? そうですね。というのも、『ドライブ・マイ・カー』の時とは関係性が変わっていて。なんでも率直に直接お話しできるし、なおかつ、言葉に頼らないようなやりとりができました。そうして感覚的にコミュニケーションをとりながら作れたのが大きかったかもしれないです。 ──監督はまた、「ジャン=リュック・ゴダールの映画音楽が、石橋さんとの共通言語としてあった」と話されていました。この映画の作曲にはどう影響しましたか? ゴダールは音楽でも映像でも容赦なくカットしますよね。生理的な欲求にすごく忠実に作られているところがとても音楽的に感じますし、「あのような作品を作れたらいいな」と音楽家も憧れる映画作家だと思います。濱口さんともその認識を共有していたからこそ、今回のメインテーマのような、ストリングスが盛り上がる思いっきりドラマチックな曲を作っても、いい意味でちょっと意地悪な、自分では予想もつかないような使い方をしてくださるはずだというのはどこかであったかもしれません。基本的にそういうドラマチックな曲は、映画のためにはなるべく作りたくない気持ちがあるんですけど、濱口さんだったらベタベタした使い方はされないだろうという信頼感があったかもしれません。 ──ある種の駆け引きによって、メインテーマが生まれたと。映画音楽ならではの面白さですね。 もっと合理的に作ろうと思えば作れるんです。映像が音楽家に送られてくる時点で、曲をつけてほしいところに、クリック(テンポのガイドとなる音)が入っている場合があって。それはテンポが決まっていると、後からシーンの置き換えやカットがしやすいからです。日本ではクリックに合わせてMIDI(電子楽器の演奏データを機器間でやりとりするための共通規格)で曲を作り、生楽器はあんまり使わないやり方が圧倒的に多いと思います。その方がお金も時間もかからない。 でもやっぱり、そういう作り方はなるべくしたくない。でないと、作品を長く遠くに飛ばせないような気がするんです。もちろんクリックのある音楽がその映画に合う場合もあるかもしれません。でも観る人によって時間の長さが飲み縮みする、生物的なタイプの映画では、音楽も揺れるようなテンポの方がいいし、クリックはあくまでもガイドとして使い、たとえ無駄に見えても、演奏家の呼吸があるような生楽器を使いたいと思うんです。 コミュニケーションがうまくいっていないと、安心して手間をかけられないという問題はあると思います。監督との信頼関係がないと、思いきったこともできない。今回は小さいプロジェクトだったけど、時間がかかってもいいものを作るという気持ちで取り組めて本当によかったと感じます。 ──今回、音楽の使い方でグッときたポイントはあります? 冒頭での、潔いメインテーマの切り方は本当に好きでした。あと最高だったのは、黛(渋谷采郁)が小川から水を汲んで運んでいるシーンでメインテーマがかかること。あそこはもともと音楽がついていなくて、わりと最後の方につけたんですよね。それこそファスビンダーのような音楽の使い方というか、「ここでかかるんだ!?」という感じで、濱口さんは本当に面白い監督だなとしみじみと思いました。