母ちゃんの背中を見て教わったこと/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」
1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。 塩沼さんの最新刊『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。
母ちゃんから教わったこと。
文/塩沼亮潤 どんな人にでも弱みがあるし、心の痛みや苦しみがある。そんな弱みや痛みを察しなさい。これは私が私の母から言われた、今にして思えば「教え」のようなことです。 子どもの頃、親の背中を見て教わったことはたくさんあります。 たとえば、どんなに貧しくても明るく楽しく生きること。誰かにお世話になったら生涯忘れてはいけないこと。直接言葉では言われていませんが、これらは今でも私の礎になっています。 そう考えると幼少期の体験は、お寺での厳しい修行よりも影響力があるかもしれませんね。 親の背を見て子は育つ。そんな「あたりまえ」のことに、もう一度目を向けてみませんか。どんな背中を子どもに示すべきだろう? そう考えてみるところから、大人もまだまだ成長できると思います。
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った最新刊『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。