言葉を失ったオールドメディアへの“しんみり感”…「すごい」を言うために記録を引っ張り出す逆転現象にもシラける【スポーツ時々放談】
【スポーツ時々放談】 目覚まし代わりのNHKラジオで興味深い話を聞いた。 エッセイスト・酒井順子さんの朝のエッセーが炎上したという──大谷翔平の非の打ちどころのない活躍に「しんみり感を覚える」と話したのだ。 【写真】酒井順子氏を見る しんみり、要はシラケるということ。炎上もうなずけるが、このしんみりは大谷ではなくメディアへの違和感だろう。 30歳の男をつかまえて、礼儀正しい、笑顔が可愛い、ゴミを拾った、愛犬が賢い、奥さんは美人と、右へ倣えの絶賛の嵐……気持ち悪い。 アスリートの素晴らしさはスタジアム内の活躍にあり、最近の報道はそこで収まらない。この秋に来日したATPツアーの幹部はコロナ後の変化として「記者が減りインフルエンサーが増えた」と話していた。 ネット出現に伴う世界的傾向なのだが、日本のスポーツには新聞事業(特に全国紙)と一体となって普及した特殊性がある。話を盛ることと報道がごちゃごちゃに広まり、「弾丸ライナー」「懸河のドロップ」「サヨナラホームラン」など文学的表現が一般紙の記事に平気で使われてきた。ニュース原稿にこんな言葉は使わない。 ニューヨーク・タイムズが運動部を廃して1年、日本の全国紙の運動部も大幅に縮小する中、オールドメディアの“盛る”根拠が記録だ。 スポーツの記録は時代を背負い、絶対値のようでいて活躍を盛り上げる形容詞にもなる。記録の神様といわれた宇佐美徹也はこの乱用傾向を「語呂合わせ」と喝破したが、二刀流の大谷なら「50-50」を筆頭にいくらでも記録を探し出せる。「すごい」を言うために記録を引っ張り出す逆転現象にも、しんみりしてしまう。 先週、オールドメディア・スポーツの象徴と言っていい福岡国際マラソンがあった。1947年に始まった福岡国際は、3年前に一度幕を下ろす勇み足で別大会扱いとなり、もはや大会数はうたっていない。コース記録は残るが大会記録は消えた。 アフリカ勢の台頭と厚底シューズの開発でマラソンは変わり、記録の単純比較のむなしさは選手が一番知っている。優勝した吉田祐也(GMOインターネットグループ)のきれいなフォームも技術革新を巧みに取り入れたもの。記録2時間5分16秒は日本歴代3位になるが、「記録は意識していませんでした」と繰り返す選手、記録の快挙を繰り返すテレビーー言葉が通じないメディアの姿にもしんみりした。 (武田薫/スポーツライター)