人・食・地域を結び、小学生が考案した駅弁の思いを形にするフードコーディネーターに迫る
断りきれなかった栄養教諭、いつの間にか9年間も勤務
「短大を卒業してから3ヶ月後くらいに、産休の栄養教諭の代わりに臨時で来てほしいと連絡があり、1年間だけ引き受けることになりました。人前で話したり自分の意見を伝えたりすることが苦手で、教職の仕事は控えたいと思っていたのですが……結局、気がつけば約9年間も栄養教諭をしていました」 約9年の栄養教諭は臨時職員だったため、福井県の採用試験を受けることに決めた石倉さんでしたが、残念ながら採用枠は少なく、採用されることはなかったとのこと。 「そのとき、ふと思い出したのです。『そういや、私はお店をするのが夢だったんだ』って。それまでは完全に忘れていたのですが、思い立ったら吉日です。開業に向けて、本格的に場所探しや店舗のアイデアを考え始めました」 栄養教諭として勤務した最後の年度は4校が統廃合した新しい学校の立ち上げだったこともあり、多忙を極めたといいます。開業準備は学校での業務と並行し、寝る間を惜しんで取り組んだとのこと。
地元でお店をするなんて考えていなかった
店舗となる場所選びには時間がかかったといいます。 「場所探しには半年かかると書籍などには書かれていますが、本当に半年かかりました。地元から出たかったこともあり、滋賀県も含めて40軒以上の物件を見学したのですが、最終的に辿り着いたのが、ここ熊川宿でした。結局、地元です(笑)」 熊川宿の古民家に決めたポイントは外観から「なんとなく」惹かれたものがトントン拍子に進んだ縁だったといいます。加えて、ちょうど若い人たちが町おこしを始めたタイミングで、熊川宿全体に活気が溢れていたこともありました。 「まさか、自分が地元で店舗を営業するとは考えたこともありませんでしたが、今は地元の人とのつながりも大切にしたいと思っています。開店の際には、地元の方々も色々と助けてくださいました。店舗で使用している机やランドセルなども地域の方々が持ち寄ってくれました」 2020年のコロナ禍真っ只中、熊川宿にオープンした店舗が「給食カフェ はな結」でした。