テレビで姿を見ないと思ったら…綾小路きみまろ 山梨県・河口湖畔で農作業をしながら暮らしていた
「年間60本!ステージで今も喋っていますよ!!」
「ようこそいらっしゃいました。今日は何を訊きに来られたんですか? 自民党新総裁の石破さんなら私はよ~く知っていますよ? 向こうは私を知らないけれど。最初に言っておきますけどね……ハイ、これすっぴん(帽子を脱いで)」 【思わず二度見】河口湖畔で「野菜と新ネタを作る日々」…綾小路きみまろ「意外すぎる素顔」写真 のっけから軽妙なトークを繰り広げると、自らキャップを脱ぎ、普段は″非公開″の帽子の下を披露したのは漫談家の綾小路きみまろ(73)だ。満面のスマイルでFRIDAY記者を迎えると、自家製のハーブティーをカップに注ぎながら話し出した。 「最近テレビはめっきり。70代になると戦力外通告みたいなもんです。芸能界、夢と希望と誤解と錯覚、ここの世界でずっとやってきたんですよねぇ。とはいえ最近はステージで忙しくさせてもらってます。年間約60本! 私はね、ロシアに友達がいるんですけど、何回電話しても繋がらないんですよ。電話してもプーって言ってチンと言うんです。……この程度の話で1時間ぐらい喋ってます。作家さんはいないので、自分でネタを考えて、日々″出たとこ勝負″です」 ◆実は芸風を変えていた ’02年に51歳でブレイク。リリースされた最初の漫談CDは、『EXILE』、『浜崎あゆみ』と同時期発売ながらオリコン最高3位を記録し、累計185万枚を売り上げた。綾小路きみまろと言えば、中高年の″あるある″を軸とした毒舌漫談だが、実は芸風を見直していた。 「〈中高年、歯もない、毛もない、先もない〉、〈ボディースーツ、無理して着ればボンレスハム〉など、昔はお客さんの容姿や病気のことをイジって笑いをとっていました。笑っている人も自分のことだと思ってない。隣に座っている奥さんのことだと思って笑うから、テンポよくドンドン攻めていたんです。 でもね、’09年にNHKの『クローズアップ現代』で取り上げてくださった際、キャスターの方が〈相手の欠点を言っているのにお客さんが入ってるのが不思議だ〉ってコメントされていてハッとしたんです。自分じゃ気付けなかったけど、改めて考えると良くない。私が一方的に話しているから、ともすれば、お客様への虐待になっちゃう。それから新ネタを作る際は、『歳をとり、私もこんな感じになっています』と自虐的にして共感してもらえるようにしています」 歳を重ね、自らも高齢者となり、注意してくれる先輩がいなくなったと語るきみまろ。自虐の芸風に舵(かじ)を切った時には肩の荷が下りた気がしたという。また、嬉しい変化は他にもあった。 「コロナ禍が落ち着いて以降かな。上は変わらず60代なんですが、下が30代とファン層が広くなりました。ブレイク当初は、高齢のお客様と一緒に歳をとって、お客様の消滅とともに私も消えていくと思ってたんです。 親御さんやおじいさんおばあさんと一緒に聴いてくださっていたお子さんが大人になり、いまでも私の舞台を見にきてくれるんです。いや~さすがに時の流れを感じますよね。元気で頑張っていたら、まだまだ多くの人に見てもらえるんだ、と元気づけられます」 ◆5000万円の借金 現在は富士山が一望できる河口湖(山梨県)付近の山の上に自宅を構え、麓(ふもと)にも農園を開墾。”ポンポコ農園”と名付け、四季折々の花々やハーブを植えて″フランス式ガーデン″を造園中だ。さらに農園の近くに構えたカフェでは、自家製ハーブティーや″きみまろグッズ″が販売され、趣味で集めた骨董品や流木が賑やかに展示されている。今の癒(い)やしは、富士山を眺めながら農園をいじることだと語る。やはり売れっ子は違う……と思いきや、山の上の別荘は、ブレイク前の苦しい時代に購入したものだという。 「鹿児島出身ですから、18歳で上京して初めて見た富士山に魅了されまして。もともと実家が農家でしたし、どうしても富士山を見ながら畑をやる生活がしたくて買いました。当時の価格で5000万円! 今思うと高すぎるので、ちょっと騙(だま)された気もしますが(笑)。当時、私は48歳の売れない漫談家。ローンが組めず、妻に組んでもらいました。だから、なんとしても売れなくてはいけなかった。 それでまず、漫談を収録したテープを高速道路のサービスエリアで観光バスのバスガイドさんに配布してみました。それが口コミで評判となって、ブレイクできた。当初はほどほどに収入を得て、ゆったりと暮らしていけたらとも考えていたのですが、予想以上のブレイクで忙しくなりすぎて、しばらく河口湖の家には帰れなくなっちゃいましたね(笑)」 ブレイク以前の20年間は森進一(76)などスターのステージで専属司会者をしつつ、漫談を披露していた。 「19歳で足立区のキャバレーでボーイをした後、新宿の『風林会館』の中にあったキャバレーで司会者をやり始めたんです。その後、人を紹介してばかりじゃなくて紹介される側になりたくて漫談家の道へ。名司会者の故・玉置宏さん(享年76)に憧れて、当時から毒舌だったので、〈お金もないのにようこそいらっしゃいました〉とか言っては〈なんだこの野郎!〉って客席からモノが飛んできました。 ビールをかけられたり、灰皿や軽食のおしんこを投げられたり(笑)。当時、キャバレーで漫才をしていた売れる前のビートたけしさん(77)にお会いして、一緒にお酒を飲んだりもしました。私のブレイク後、30年越しにたけしさんの番組で共演できた時は感慨深かったです」 長く昭和を生きてきたきみまろだが、喜寿近い今でも、ネタ作りのために常に新しいことにアンテナを張っている。 「骨董収集が趣味なので、いつか個展でもできたらなと。あとYouTubeも始めて無理しない程度に頑張っているので、いろんな人に観てもらいたい。何よりも、たくさんの方に笑ってもらえるようにアンテナを張って新ネタを作って、ステージで喋っていたいです」 ″中高年のアイドル″は今も健在だ。 『FRIDAY』2024年11月22・29日合併号より 取材・文:富士山博鶴
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