なぜ仙台育英は日大藤沢との壮絶10人PK戦を制して全国高校サッカー選手権30年ぶりの8強進出を果たしたのか?
7-7の振り出しに戻った瞬間、うなだれながらハーフウェイライン付近へ戻っていた中川原は、仲間たちに笑顔で出迎えられながら涙腺を決壊させていた。 「僕がPKをしっかり決めて、相手にプレッシャーをかけることで(退場の)借りを返そうと思っていたんですけど。文太にはいつも自分のケツをふいてもらってばかりで、本当に申し訳なくて」 9人目の明石は、城福監督をして「最初の5人のなかで蹴らせてもいい」と言わしめる存在だった。しかし、年が明けたあたりからどうも様子がおかしい。城福監督が苦笑する。 「ちょっとビビっているんですよ。だから、ボールを置き直したりしていたでしょう。本当によく決めたと思いますよ」 一度はペナルティースポットに置いたボールを、拾い上げてはまた戻す。覚悟が定まらない立ち居振る舞いを見せながらも執念でPKをねじ込むと、10人目の島野の一撃は左ポストに弾かれた後に反対側のネットを揺らした。最後は心理面で優位に立っていた佐藤が右へ跳びながらも、真ん中を狙ってきたMF植木颯(1年)のPKを右ひざで弾き返して死闘に決着をつけた。 結果論になるが、PKを不得手とする小林や佐藤が残っていれば、サドンデス以降でどのような展開になっていたのかわからない。2017年度大会から5人に増えた交代枠を含めて、1試合でピッチに立てる可能性のある16人全員でつかんだ勝利だと城福監督が相好を崩す。 「常日ごろから子どもたちがどのようなキックをしているのかは知っているので『いつものことをやれ。それでダメならばしょうがない。仲間を信じる、ということはそういうことだ』と言いました。失敗すれば私の責任ですけど、彼らにも相当のプレッシャーがあったと思います。いい結果が出たからこそ、こんな偉そうなことを言えるんですけどね」
キックオフ前の時点では昨夏のインターハイ覇者・桐光学園を県予選決勝で退けた、日大藤沢の優位が伝えられていた。実際に個々の技術や連携で何度も後塵を拝しても、引いて守るのではなく、前線からの激しく、粘り強い守備で対抗し続けた仙台育英が自分たちの土俵に引きずり込んだ。 「やれる、という表情を浮かべて戻ってきたハーフタイムで、ちょっと成長したと感じました。僕たちは雑草軍団だと、子どもたちにはいつも言っています。それでも、雑草でもこうやって変わっていくところが、サッカーの楽しさでもある。この先、少しでも上へ行って、雑草からちょっとした花を咲かせるように変わってほしいですよね」 孫ほど年の離れた選手たちを、62歳の城福監督は目を細めながら見つめる。3年連続34度目の出場となる仙台育英にとって、ベスト8進出は30年ぶりとなる。さらに上、つまりはベスト4へ駒を進めれば1964年度大会以来、宮城県勢としても実に55年ぶりの快挙となる。 「僕が7歳のときですからね。まだ徳島で隠れんぼをして、遊んでいた時代のことですから」 徳島県で生まれ育った指揮官が再び笑う。次なる相手は3人のJクラブ内定選手を擁し、2試合で8得点をあげた帝京長岡(新潟)。壮絶なPK戦を制し、メンタル的にもたくましくなった雑草軍団は、再び等々力陸上競技場を舞台に5日に行われる準々決勝で、宮城県勢の歴史をも変える戦いに挑む。 (文責・藤江直人/スポーツライター)