ものづくりにはなぜ“自信”が必要?石井裕也が考える映画の存在意義と「心を描くこと」の重要さ
俳優・池松壮亮に「飽きない」理由
──主演の池松さんとは本作で9度目のタッグとなります。監督にとって、池松さんはどんな存在なのでしょうか。 長くやってはいますが、深く理解し合っているかというと、別にそうではなくて。お互いどこか隠しながら付き合っているような感覚があります。だからどんなに作品を重ねていっても関係が盤石になることはない。むしろ常に不安定な要素を孕ませながらやっている。だから毎回面白いし、これだけやっても池松くんに飽きることがないんです。 ──俳優と監督というのは、そうしたある種の不安定さを抱えながら緊張状態でやっていくほうが理想的というふうに監督は考えているんですか。 そうですね。ちょっとスピリチュアルな言い方になりますが、お互いの霊性のようなもの、そのありかを探りながらやっているというか。撮影現場でそれを見せ合うという、ある種の儀式に近いことをやっています。 監督の言われた通りにやるんで、僕をうまく使って演出してください、というような俳優とは一緒にやれないし興味もない。顔を突き合わせて話しているけど、お互いまったく違うところを見ているような関係性のほうがずっと面白い。はっきり言って面倒くさいんですけど、でもそういうやりとりの中でしか、その人固有の魅力的な芝居は見えてこないと思います。 ──ちなみに、次は三吉さんにお話を伺う予定です。三吉さんとの思い出を聞かせていただけますか。 三吉さんは作品に並々ならぬ覚悟と熱意を持って参加してくれていました。どうやら三吉さん自身が家族とわだかまりを抱えていたらしくて。この映画をやると決まってから、そのわだかまりを解決するために家族に会いにいったそうなんですね。それを聞いて、全幅の信頼を置いたというか、この人から出てくるものは嘘じゃないんだろうなと確信を持てた。とても誠実な役者さんでした。 ──水上恒司さんの印象も聞かせていただけますか。 一言で言うと、すさまじい好青年です。ただ、彼もまた捉えどころのない人でしたね。印象的だったのが、クランクアップのときにスタッフのみんなの前でコメントをもらったんですけど、そのときに「この役のオファーをずっと断ろうと思ってました」と。僕、その話、初めて聞いたんですよ。だからちょっとショックでした(笑)。なんであの場であの話をしたのか、ちょっと“本心”が聞きたいですね(笑)。 ──最後に、クリエイティブの世界を目指す人に向けて、監督がご自身の創造性を守るために心がけていることを教えてください。 大切なのは、自分から出てくるものに自信を持つことですね。何でもいいから、自分に自信を持つための作業が必要なんです。自分に自信がないと、表現なんて怖くてできないですから。 たとえ自信ばっかり大きくて傲慢だと人から言われようと気にする必要はない。自信を持つことって、その鼻っ柱が折れたときの恐怖を同時に持つことでもあると思うんですよ。つまり、自信を持てば持つほど、恐怖も大きくなっていく。それを傲慢だとは僕は思いません。 ──監督はまだ何者でもなかった学生時代、どんなふうに過ごしていましたか。あのとき、別にやらなくて良かったなと思うことはありますか。 学生の頃はずっと映画をつくっていました。学生時代っていろんな遊びの誘惑があると思うんですね。まだ若いですし、楽しければ何でもいいやという時期なので、そっちに走る気持ちもわからなくはない。でも、そんなくだらない暇つぶしに時間を使わなくて良かったなと思っています。 ──逆の意見もありますよね。何者でもない時期だからこそ、思い切り遊んだほうがいいと。 それはそれでその人の意見なので、僕はその意見を否定するつもりはありません。ただ、僕の場合はそうではなかったというだけです。さっきも言いましたが、表現という行為には恐怖がつきまといます。表現をやるなら、その恐怖とじっくり向き合ったほうがいい。僕も学生の頃は、将来映画の仕事ができなかったらどうしようとか、評価されなかったらどうしようとか、それこそ死んだらどうしようという恐怖がずっと自分の中にありました。その恐怖から目を逸らすために、一時的な享楽に走るのは、こんな言い方も角が立ちますが、ちょっと無駄だと思う。それならば、とことん恐怖と向き合って、ものをつくり続けるほうが何かしら将来につながるんじゃないかと僕は思います。 取材・文/横川良明 編集・構成/小島靖彦(Bezzy)