「即位礼正殿の儀」とはどんな儀式? 明治以降に「和風化+西洋風」
もう一つの動きとして「西洋風」の導入がありました。 即位の礼は従来、天皇だけでしたが、西洋の王室のあり方を参考に「両陛下ペアでの参加が近代的なスタイル」だとして、皇后陛下も出られるようになったのです。 これは1909(明治42)年に公布された「登極令」の中にも書かれています。登極令とは、即位に関する儀式全般のあり方をまとめたマニュアルで「明治の人々が20年かけて考えに考え抜いて作り上げた」(所氏)ものです。 大正以降の即位の礼では、この登極令にのっとり、天皇陛下が「高御座(たかみくら)」、皇后さまが「御帳台(みちょうだい)」に並んで立つ形に定められました(※実際に両陛下が揃って出られたのは昭和の即位礼から)。 今回も基本的に昭和、平成の形式が踏襲されます。「即位礼のスタイルは、明治42年の登極令に基き、多少の変化を加えながら行われている。大事なことは、明治の初めに唐風から和風に変え、それに洋風も取り入れた。要するに、時代に即したあり方を作り出したということで、それが100年以上続いている」(所氏)
時代に合った「令和の登極令」議論を
所氏は、登極令の存在は「非常に重要」だと指摘します。こうしたマニュアルが先人たちによって整えられていたからこそ、その後の即位礼への準備ができ、工夫もできたといいます。 しかし登極令は明治憲法下で作られたものであるため、昭和22(1947)年に廃止されました。「それで平成2(1990)年の即位礼のときに『登極令は法的根拠にならない』とされてしまった」(所氏)。ただ大正、昭和の先例があるので、平成も大筋それに基づいて行うことが決められました。 所氏は「それはやむを得ざる措置で、今回も平成を踏襲するということでいい」としながら、即位礼を新しい時代に合った形でどう執り行っていくかを将来に向けて議論していくべきだと強調しました。 「『令和の登極令』とでもいうか、今後の皇位継承に備えたあり方について、これだけ国際化した時代に、どういうふうに実施するのが国民の理解や世界の共感を得られるのか、ここ数年以内に議論して、きちんと決めておく必要がある」