「即位礼正殿の儀」とはどんな儀式? 明治以降に「和風化+西洋風」
午前中に「賢所大前の儀」
10月22日には、午後に皇居宮殿・松の間で行われる「即位礼正殿の儀」だけではなく、午前中に「賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」があります。当初は祝賀パレード「祝賀御列(しゅくがおんれつ)の儀」も予定されていましたが、台風19号の被害を受けて11月10日に延期されました。 「賢所大前の儀」は「天皇は歴史的な存在であると同時に先祖の子孫として皇位を世襲されるので、『きょうの午後に即位礼正殿の儀をします』と先祖の神様に奉告をする」(所氏)という儀式です。賢所には皇室の祖先とされる天照大神がまつられています。 「そういう意味では『賢所大前の儀』は神前結婚式のようなもので、披露宴に当たるのが『即位礼正殿の儀』といえる」。所氏は結婚式に例えて説きました。
もともとは中国風だった
ニュース映像などで、和装・和風のイメージのある「即位礼正殿の儀」ですが、実はもともと中国風で行われていたと所氏はいいます。 「『即位礼正殿の儀』はお披露目の場なので、なるべく盛大にやりたい。そして古代にそれをもっとも派手にやってきたのが中国の皇帝だった」 所氏によると、日本では素朴な儀式だったものが、遣隋使や遣唐使によって中国の見聞がもたらされ、天武天皇の時代の7世紀後半の頃から「即位の礼」というものの形ができました。そのため当時の儀式の内容は、もっぱら中国風でした。中国の皇帝のような冠や真っ赤な服に龍を描いたものを身につけられ、庭に飾られる旗や一般の人々の服装も中国風のものでした。 「中国の模倣は、当時としてはハイカラで最先端なやり方だった。それがずっと幕末まで1200年近く続いてきた」
明治維新とともに和風+西洋風
その状況が大きく変わったのが1868年の「明治維新」です。「明治維新は『王政復古』ということで『中国風以前の日本に帰ろう』と。それで唐風(中国風)をやめようとなった」(所氏)のです。 天皇の衣服は中国服のようなものから、日本に平安時代からあった束帯衣冠の「黄櫨染(こうろぜん)の御袍(ごほう)」に変わりました。 黄櫨染の黄色は太陽の明るさを表し、「これは貴族の着物としては平安以来最高のもの」で、「それを明治元年にお召しになるということで、いわば唐風から和風化した。儀式を日本風に作り直すということが行われた」(所氏)のでした。ちなみに皇后さまは十二単で臨まれます。