オバマ大統領広島訪問 17分間の「所感」に込めた思い
現職の米国大統領としては初めて広島を訪れたオバマ大統領。この歴史的訪問を、日本国内、米国国内など、さまざまな思いで見守った人たちがいました。核軍縮に対するオバマ大統領の強い思い入れは、原爆ドームを背にした17分間の「所感」の中にも現れていたといいます。アメリカ研究が専門の慶應義塾大学SFC教授、渡辺靖氏に寄稿してもらいました。 【写真】オバマ氏の広島訪問への障害は? 米国務長官が初の被爆地訪問
オバマ大統領と被爆者の抱擁
2009年の就任当初からバラク・オバマ米大統領の被爆地訪問を希望してきた一人して、今回の広島訪問には胸を打たれた。 政治的リスクを覚悟の上で、慎重に布石を打ちつつ、最後は英断を下したオバマ大統領が立派なのは言うまでもない。 その志を受けとめ、静かに環境を整えてきた日本政府の対応も見事だった。
そして、何よりも被爆者の方々の寛大な精神に心が震えた。その強さが一体どこから来るのか。私のような若輩者が推し量るには余りある。 日本被団協の坪井直氏とオバマ大統領の間で交わされた笑顔。感極まる被爆者の森重昭氏との間の抱擁。表情は対照的ながら、どちらも日米関係の成熟、いや、人間の崇高さそのものを感じさせるものだった。 坪井氏は「オバマ大統領との会話に、言葉はほとんど必要なかった。通訳を介さなくても表情を見れば心が通じたし、私の話を聞いている間、私の手を握る力がどんどん強くなっていくのを感じた。彼は人の心を思いやることができる人物だと思う」と記者会見で述べている。被爆死した米兵捕虜12人を追悼する活動を約40年続けてきた森氏をオバマ大統領はねぎらった。 原爆ドームを背に所感を述べる大統領の姿、日米両首脳が平和記念公園をともに歩む姿……いずれも戦後の独仏和解に勝るとも劣らない、まさに歴史的な一コマ だった。
プラハ演説に連なる「所感」
オバマ大統領の所感はプラハ演説(2009年)に連なる力強い、思慮に富む内容だった。 日本への「謝罪」がなかったことには失望や批判の声もあろう。しかし、日本が原爆投下への謝罪を求めれば、米国は真珠湾攻撃への謝罪を求めてくるだろう。そうした非難の応酬の先に何があるのか。 オバマ大統領の所感の要諦は、「ヒロシマとナガサキ」を「私たちの道義的な目覚めの始まり」とすることでナショナリズムの罠を超克すること、それこそが真の意味で、第二次世界大戦の全ての犠牲者への弔いに通ずると訴えた点にあると私は解釈している。それゆえ所感では、朝鮮半島出身者や米兵捕虜の被爆者にも言及し、かつ「行進」(=「バターン死の行進(※) 」を指すと思われる)や「ガス室」(=ホロコーストを指すと思われる)にも言及したのではないか。 (※)…旧日本軍が侵攻したフィリピン・バターン半島で米兵捕虜らが多数死亡したとされる