オバマ大統領広島訪問 17分間の「所感」に込めた思い
学生時代から抱いてきた思い
もとより、現職の米大統領として「謝罪」が困難な点は、前回記した通りである。 ジョン・ケリー米国務長官の訪問時と同様、「謝罪」と受け止められかねない言動は今回も一切封印された。原爆慰霊碑への献花の際に頭をさげることはせず、原爆資料館の見学の様子も公開されなかった。万が一、感極まって涙を流してしまえば(仮にそれが人間として尊い感情であったとしても)米軍の最高司令官としては「弱さ」や「贖罪」の証として批判されかねない。原爆資料館の見学や被爆者との対話もごく短時間に抑えられた。 しかし、そうした諸々の制約があったとはいえ、黙祷時の神妙な表情から「ヒバクシャ」という(犠牲者に寄り添った)言葉の使用に至るまで、大統領の個人的な想いを節々に感じ取ることもできた。あくまで私の推測だが、当初、ホワイトハウスから「数分間」と発表されていた「所感」が、実際は17分にも及ぶ「演説」に近い内容になったのは、スピーチライターが用意した文面にオバマ大統領自ら筆を加えていった結果ではないか。 オバマ大統領はコロンビア大学の学部生の頃から核軍縮への思いを抱き 、4年生だった1983年には、学内ニュース誌への寄稿で「核兵器のない世界」という表現を用いている。連邦上院議員時代には旧ソ連の国々の核施設を視察している。プラハ演説から4回に及ぶ核セキュリティサミットの開催、そして今回の広島訪問に至るまで、オバマ大統領自身の個人的な思いなくして実現したとはとても思えない。
米国では総じて好意的な評価
今のところ、米国内では、保守派の一部が批判しているものの、総じて好意的な評価のようだ。少なくとも政治問題化はしていない。今秋の大統領選で共和党の候補者指名を確実にしたドナルド・トランプ氏も「謝罪しない限り、全く問題ない。誰が構うものか」と突き放している。もっとも、“トランプ政権”で国務長官への就任が噂されるタカ派のジョン・ボルトン氏(ジョージ・W・ブッシュ前政権時代の国連大使)は「恥ずべき謝罪の旅」と酷評しているが……。 オバマ大統領が「謝罪」しなかったことをロシアが(米国に対する道義的優位性を示すため)批判している点や、中国が「日本=被害者」という図式に反発している点は、全くの想定内と言えよう。