<甲子園100年・茨城球児の挑戦>誰もが憧れる聖地、歴史に思いはせて(その2止) /茨城
◇元高校球児大会、土浦湖北が出場 コロナで中止「夏取り戻せ」 青々とした天然芝を踏みしめた時、黒土にはねたボールをさばいた時。「俺たち甲子園で野球してるよ」。土浦湖北OBの田中海斗さん(21)=新潟医療福祉大3年=は喜びを抑えられなかった。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 新型コロナウイルス禍のあおりを受け、2020年の全国高校野球選手権大会は中止された。各地の高野連は甲子園につながらない独自大会を実施。県内でも「夏季県高校野球大会」が開催され、4強に残った土浦湖北、明秀日立、霞ケ浦、水戸啓明が「1位校」となった。 当時、土浦湖北の主将だった田中さんは「勝って高校野球を終われたことはよかった」と、気持ちに折り合いをつけたつもりだった。しかし、その後仲間と顔を合わせると結局「あの夏」が話題になった。「もし甲子園が開催できていたら、どうなっただろう」 2023年11月29日~12月1日、「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会」が甲子園球場など兵庫県内の球場で開催された。各地の独自大会の優勝校、上位校など42チーム(合同チーム含む)が参加。茨城からは、4校による抽選の結果土浦湖北が出場した。 当時のメンバー21人中15人が集結し、甲子園では入場行進と5分間のノック。「テンションが上がりすぎて、気づいたら終わっていた」と笑う。翌日、姫路市のウインク球場で北海道のクラーク記念国際OBと対戦し、0―2で敗れた。 「高校のユニホームを着て、当時の仲間と純粋に野球を楽しめました」。前へ踏み出す覚悟をくれる、夢のような一瞬だった。 ……………………………………………………………………………………………………… ◇(2)戦時下で一度きり、幻の大会 太平洋戦争のため夏の甲子園は1941~45年、センバツは42~46年に中止された。一方、42年夏には文部省(当時)などが甲子園で全国中等学校錬成野球大会を開催。後の大会史に記録されない「幻の甲子園」だ。戦時色が強く、開会式では「戦ひ抜かう大東亜戦」の標語が掲げられた。 代表16校が出場。水戸商はエース石井藤吉郎を擁し、準々決勝まで勝ち進んだ。石井はシベリア抑留から帰還の後早稲田大を卒業し、大昭和製紙で都市対抗優勝。水戸商、早大で監督を務め、95年に野球殿堂入りした。 ◇(3)終戦直後、西宮球場で大会再開 甲子園は1924年の完成以後、中等学校野球(後に高校野球)の聖地として定着した。しかし、甲子園以外で試合が行われた例もあった。 終戦直後は甲子園が米軍に接収されていたため、46年夏の会場は西宮球場(兵庫県西宮市)に。県勢は北関東予選で敗退し、出場していない。 記念大会として全国47都道府県から代表校が出場した58年夏、63年夏は、3回戦まで甲子園と西宮を併用して行われた。58年夏に出場した水戸商は3回戦まで進出。このうち1回戦は甲子園。2、3回戦は西宮だった。63年夏に出場した水戸工は、西宮での1回戦・岡山東商戦で敗退。水戸工の「甲子園出場」は、春夏通じてこの1回のみだ。 なお、両大会とも開会式は甲子園で行われ、全選手がその土を踏んでいる。 ◇(4)打者緊張、浩宮さま始球式 天皇陛下(当時は浩宮さま)は1988年夏の甲子園開幕戦、常総学院―小浜(長崎)戦で皇族として初めて高校野球の始球式に臨んだ。打席に立つ常総学院の1番打者・仁志敏久(後に巨人など)は「思い切り空振りしたいけれどバットに当たったらどうしよう」と緊張を隠せない。木内幸男監督から「ボールが通り過ぎてから振ればいいだろ」とアドバイスを受け、何事もなく空振りすることができた。<紙面編集・村上真衣子> ……………………………………………………………………………………………………… ◇甲子園と県勢の100年史 1915年 夏第1回全国中等学校優勝野球大会開催 18年 夏竜ケ崎中が初出場も、米騒動で中止 24年 春第1回選抜中等学校野球大会開催 夏 甲子園完成…………………………………(1) 28年夏 ベンチ入りが14人に 29年春 外野が芝に 夏 アルプススタンド完成 33年夏 水戸商が県勢初勝利 41年夏 太平洋戦争のため中止 42年夏 文部省主催「幻の甲子園」に水戸商出場…(2) 43年 軍への金属供出のため、観客席の鉄傘撤去 46年夏 西宮球場で大会再開………………………(3) 47年春 会場が甲子園に戻る 夏 ラッキーゾーン設置 51年夏 内野スタンドにアルミニウム製の銀傘復活 52年夏 水戸商・豊田泰光主将が選手宣誓/背番号導入 56年夏 ナイター設備完成 58年夏 延長十八回で引き分け再試合に 60年春 打者のヘルメット着用義務化 72年春 取手一が県勢初のセンバツ出場 74年夏 金属バット導入 76年春 鉾田一・戸田秀明が無安打無得点試合達成 78年夏 ベンチ入りが15人に 84年春 スコアボードが電光掲示に 夏 取手二が優勝 88年夏 現在の天皇陛下が始球式。 打者は常総学院・仁志敏久……………(4) 92年春 ラッキーゾーン撤去 94年春 ベンチ入りが16人に 2000年春 延長十五回で引き分け再試合に 01年春 21世紀枠創設/常総学院が優勝 03年夏 常総学院が優勝/ベンチ入りが18人に 07年 甲子園改修(10年まで) 18年春 延長タイブレーク制導入 19年春 石岡一が県勢初の21世紀枠で出場 20年 新型コロナ禍のため中止 23年夏 ベンチ入りが20人に ※校名は当時。ゴシックは県勢の歴史 ……………………………………………………………………………………………………… ◇県勢の出場回数 春 夏 常総学院 10 16 水戸商 4 10 竜ケ崎一 1 9 土浦日大 2 5 取手二 2 4 藤代 2 3 取手一 1 3 明秀日立 2 1 鉾田一 1 2 霞ケ浦 1 2 水戸一 0 3 日立工 2 0 水城 1 1 水戸啓明 1 1 下妻二 1 1 明野 1 1 茨城東 0 2 石岡一 1 0 土浦湖北 1 0 土浦一 0 1 日立一 0 1 江戸川学園取手 0 1 下館一 0 1 水戸工 0 1 鹿島学園 0 1 ※校名は現名称