石川さゆり「天城越え」制作秘話を語る「“この歌をさゆりが歌って、もう1つ何かを越えていかなきゃいけないんだ”と先生がおっしゃってご提供いただいた作品です」
◆“今の日本”を歌にして伝えていきたい
坂ノ上:デビュー52年目、NHK紅白歌合戦に46回出場されている石川さゆりさんですが、50年以上この世界で活動されているじゃないですか。熊本の、人生の先輩としてどのように活動していけばいいか教えていただけると嬉しいです。 石川:10代とか20代の頃はスタッフの方たちや作詞作曲の先生方から「これが新曲だよ」といただいたものを夢中になって歌っていました。20代30代の頃から「こんな歌が歌ってみたいな」と言うと、作詞作曲の先生が「またそんなことを言って」と言いながらも、歌を書いてくださったんです。 先生方もだんだんご高齢になり、お亡くなりになられる方もいて、「これから私は何を歌っていけばいいんだろう」と思い悩んだ時期があって。その頃からいろんなジャンルを超えた方たちと仕事をするようになったんです。自分で歌を探していかないといけないなって。 そのときに「歌というのは、私たちの生活のなかにある小さな文化なのかもしれない」と気づいたときに、日本が抱える嬉しいこと、大変なことといった、今の日本をいっぱい知らなきゃいけないなと感じたんです。それで新聞とかニュースをよく見るようになったかなあ。 坂ノ上:そうなんですか! 石川:そのなかから「これを歌にしてみなさんに伝えたいな」と思ったものを曲にするようになっていきましたね。そんなことを続けてきたら52年。 坂ノ上:すごいです。20代から30代の狭間ぐらいで受動的だったものが能動的になり、そこからさらに活躍するために今の日本を知る、いろんなことを勉強することにたどり着かれたんですね。すごく勉強になります! ちょうど私、28歳なんですよ。 石川:ちょうど「天城越え」(1986年)を歌ったのがそれぐらいの時期かな。 坂ノ上: 私も大好きな曲です。 石川:あの曲を作ったときは、カラオケがブームになり始めていた頃で、「こんな難しい曲はダメだ」ってみなさん誰も(自分の曲を)歌ってくださらなかったんですよね。 作詞作曲の先生が「この歌をさゆりが歌って、もう1つ何かを越えていかなきゃいけないんだ」とおっしゃってご提供いただいた作品です。夢中になって取り組んでいたかなあ。 坂ノ上:私は今狭間で、自分が今どんなことをしたいのかを考えている時期なんです。お話を聞いて、いろんなことに目を向けて、興味があることを発見したいなと思いました。 石川:面白いこと、大変なことはいっぱいあります。今何が起きているのかなっていうのも、エンターテインメントを作っていくうえで大きなテーマになっていくと思います。 (TOKYO FM「白岳しろ 坂ノ上茜のぎゃんっ!ラジオ」2024年8月1日(木)放送より)