長生き怖い…低所得層転落、移民送還で介護士不足。米国理想の老後はどこへ
ある91歳の老後のあり方
「怖いのは長生きね」「今、遺品を整理しているの」と開口一番に言ったのは、長年の知人であるナンシー・ケントウェルさん。御年91歳です。ところがそんなセリフとは対照的に背筋をまっすぐ伸ばしたまま、さっと歩いて迎えてくださいました。4年前にご主人のラリーさんが94歳で亡くなってから、今日まで一人暮らしをしています。 実はナンシーさん、5年ほど前までマンハッタンにある高齢者用アパートに約7年間ご主人と一緒に住んでいました。昼と夜の食事つき、階下に介護付き老人ホーム(ナーシングホーム)も併設されているので、緊急時の医療体制も万全。安心して老後を過ごせると期待し、ナンシーさんの言葉を借りれば「クルーズの旅にでも出るようなワクワクした気持ち」で入居したそうです。 部屋代は日本円にして月25万円以上。終身入所が前提ということで、まとまったお金を持っていることが証明できないとそうそう入れません。そんなうらやましいようなリタイア生活なのに、結果的にはその施設を出て長く住み慣れた対岸の街に戻りました。夫婦そろって90歳前後というタイミングで、独立した老後の暮らしを再び選んだのはなぜだったのか……。
呼吸するだけの長生きはしたくない
ナンシーさんは米国で看護師のみならず、母乳コンサルタントおよび助産師の資格も持ち、老人ホームに勤務していたこともあります。ただし、スタッフが忙しさのなかで「患者がモノであるかのような錯覚を起こす」場面を目の当たりにしたことでつらくなり、1年ほどでやめてしまったそうです。この個人的な体験も、今の生き方になんらかの影響を与えていることは間違いないようです。 ナンシーさんが夫のラリーさんと前述の高齢者用アパートに入居したのは2006年のこと。ところが食事の献立が毎回ほとんど同じという日常生活を送るうちに、まずラリーさんが食べる楽しみを失って体重を10キロほど減らしてしまいます。ナンシーさんも生きるために食べたいのに、食べるために生きているような状態に疑問がわいてきました。そして限られた空間のなかの限られた顔ぶれ、集団生活にはつきものの規則につぐ規則……。 母乳指導やラマーズ出産法指導などで、長年子どもや若い人たちに囲まれてきたナンシーさんは、そういう交流こそが本当の暮らしだとしみじみ感じ、「まだ動けるうちに」退所を決意。引っ越した日に、今も住む高層マンションの窓から見事な夕焼けを2人で言葉もなく見入ったそうです。 くだんの高齢者用アパートも高層ビルでしたから、窓からの眺めは決して悪くなかったのではないかと想像しますが、解放感から夕日がさらに美しくみえたのかもしれませんね。それから1年ほど2人で好きなものを食べて好きなように暮らし、その後8カ月の自宅介護を経て、ご主人のラリーさんは眠るように旅立っていかれたそうです。