1ミリの間に9本もの線! 宮本屋窯、驚異の細密描写 兵庫陶芸美術館 特別展「九谷赤絵の極致」
江戸時代後期、石川県加賀市で開かれた九谷焼の窯「宮本屋窯(みやもとやがま)」で生まれた優品を集めた特別展「九谷赤絵の極致―宮本屋窯と飯田屋八郎右衛門の世界―」が兵庫陶芸美術館(兵庫県丹波篠山市)で開かれている。専門家が分かりやすく解説する「リモート・ミュージアム・トーク」の今回は、同館学芸員の村上ふみさんが担当。2回にわたって、作品の見どころなどについて教えてもらう。第1回は「九谷赤絵と宮本屋窯」。 【拡大画像】1ミリの間に9本の線。17ミリの間に3人の人物も(解説バナーより) ☆☆☆☆☆ 兵庫陶芸美術館では、2024年11月24日(日)まで、特別展「九谷赤絵の極致―宮本屋窯と飯田屋八郎右衛門の世界―」を開催しています。赤絵の細密描写で名高い再興九谷の宮本屋窯では、主画工・飯田屋八郎右衛門が赤絵細描に優れた手腕を発揮し、独自の作風を作り上げました。本展では、これまでまとまって取り上げる機会の少なかった宮本屋窯の作品が一堂に会します。この貴重な機会をぜひお見逃しなく。 赤い上絵具を陶磁器に焼き付ける赤絵の技術は、中国の宋赤絵を起源として江戸時代に日本に伝わります。九谷赤絵は、江戸時代前期の古九谷を経て、江戸時代後期に現在の石川県南部地域で興(おこ)った再興九谷諸窯で発展しました。再興九谷諸窯では、九谷五彩(赤・黄・緑・紺青・紫)のうち、赤以外の絵具で器面全体を塗り込める「青手」と、赤も使った「色絵」に二分化します。色絵は、次第に赤を主体とした意匠が登場し、赤絵は九谷焼を代表する作風の一つになりました。 天保2年(1831)、現在の石川県加賀市の山代温泉郊外で操業していた再興九谷の吉田屋窯が閉窯すると、天保3年(1832)、宮本屋宇右衛門(みやもとや・うえもん)が窯の経営を引継ぎ、同地に宮本屋窯を開窯します。宮本屋窯の主画工だった飯田屋八郎右衛門(1801~48)は、細かい描線で器面を埋め尽くす赤絵細描に優れ、赤絵具による細描とそこに金彩、赤以外の色絵具を少量用いた独自の作風を作り上げました。このことから、宮本屋窯は別名「飯田屋窯」、その作風は「飯田屋」や「八郎手」とも呼ばれています。 宮本屋窯の絵付は、まさに超絶技巧。通称「血赤」と呼ばれる黒みがかった赤絵具で描いて、描いて、そして描く! 主題のみでなく、周囲の文様までとてつもない熱量をもって描かれています。 『南柯之夢図六稜形鉢(なんかのゆめずろくりょうがたばち)』(江戸後期[19世紀]個人蔵)は、凝った器形に赤と金以外の色絵具もふんだんに使った華やかな作品。「南柯之夢」は中国故事に基づく画題で、はかない夢や栄華のむなしさを例えています。 『群鶴図瓔珞文瓢形大瓶(ぐんかくずようらくもんひさごがたたいへい)』(江戸後期[19世紀]個人蔵)には、輪郭線のみで表された鶴と、赤絵具で塗り込めた金で輪郭を描いた鶴の2種が群で飛んでいます。鶴の体勢や表情が変化に富んでいて面白いです。 『鶴亀福禄寿図平盃(つるかめふくろくじゅずひらはい)』(江戸後期[19世紀]個人蔵)は、直径9センチにも満たない盃。1ミリの間に9本もの線を描いています。写真では分からないすごさを、ぜひ会場で実見してください。作品後ろのバナーでは、部分を拡大して解説しています。 宮本屋窯の赤絵細描は、明治期に海外に高く評価された豪華絢爛(けんらん)なジャパンクタニ(輸出陶磁)の誕生につながり、現在もその系譜は九谷の地で続いています。写真だけでは見ることのできない宮本屋窯の高い技術力をぜひ会場で感じてください。 また10月20日(日)まで、丹波焼陶器まつり「秋の郷めぐり」も開催されています。展覧会と合わせてお楽しみください。 (兵庫陶芸美術館学芸員・村上ふみ)
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