いやー変えすぎじゃない!? シーラカンス状態だった[デボネア]のフルモデルチェンジは正解だったのか!!??
■現代風になりすぎたのがダメだった!?でも韓国じゃ兄弟車が爆裂ヒット
そんな初代の後を受けて1986年に登場した2代目モデルは、新たに「デボネアV」と名称を改めて登場。これは初代のある意味古臭いモデルというイメージを払拭するためや、VIPの頭文字、搭載エンジンがV型だったことなど、さまざまな意味が込められていると言われている。 そんなデボネアVの最大の特徴と言えるのが、フロントエンジンフロントドライブのFFレイアウトを持っていたという点だ。 その恩恵からボディサイズ以上に広くフラットに近い室内空間を持っていたデボネアVは、フラッグシップセダンに相応しいものとなっていたのだが、フラッグシップセダンは後輪駆動であるべきという考えがまだまだ根強く、販売面になかなか結び付かなかったというのが現状だった。 その状況を打破するべく、三菱も当時は外部のチューナーであったAMGに依頼して、AMG製エアロを身にまとったモデルを制作してもらったり、イギリスの高級ファッションブランドだったアクアスキュータムが内装を手掛けたモデルをリリースするなど、新たな顧客を生むための施策を多く送り出していた。 しかし結局デボネアVは1992年10月にフルモデルチェンジを実施するまでに3万台弱の生産台数に留まってしまい、一見すると商業的に失敗したと言われがちとなっている。 ただ実は、当時提携関係にあった韓国のヒョンデからノックダウン生産モデルとしてデボネアVの兄弟車であるグレンジャーがリリースされており、このモデルが韓国で大ヒット。さらにデボネアVに搭載されていたV6エンジンも当時のクライスラーへOEM供給されるなど、トータルでみると三菱に大きなプラスをもたらす結果となった1台とも言えるのだ。