オヤジたちの深堀りTALK 昭和ドロップ 第3回「原辰徳」
今回の『昭和ドロップ!』は、3人のうち1人、篠塚和典さんが所用で欠席。定岡正二さん、川口和久さんの左右先発二本柱でお届けする。第3回のテーマは優勝間近、というか、もしかしたら発売日には優勝しているかもしれない巨人の現役指揮官のあの人だ。 ──連載1回目は「原巨人はなぜ強いのか」でしたが、今回はずばり「原辰徳」をテーマにしたいと思います。 川口 危険なテーマだな(笑)。 ──定岡さんにとっては、最初は甲子園ですよね。 定岡 あの出会い(1974年選手権大会準々決勝で対戦)は衝撃的でしたよ! 僕が3年(鹿児島実高)のときの1年生(東海大相模高)。こっちが2年先輩ですから、抑えて当たり前だと思っていたけど、失投ならともかく、ベストピッチと思った外のボールを打たれた。6打数3安打かな。当時の感覚だと、1年生は夏まで球拾いや走ってばかりで、バットも握らせてもらえないでしょ。それが頭より上に大きく堂々と構えてね。 川口 一方的にやられたわけですね。 定岡 チームは勝ったけどね(延長15回の末5対4で完投勝利)。妙なところで勝負強いんだ、俺は(笑)。 川口 どうせ、味方が打ってくれたんでしょ(笑)。 定岡 俺が打ったんだよ(笑)。あの甲子園で5割くらい打ってるんだ。最後までゾーンに入っちゃってね。 ──ナイターゲームで、予定時間を過ぎたNHKの試合中継が途中で終了し、苦情の電話が殺到したという甲子園の伝説の試合ですよね。 川口 へえ、知らなかった。僕は、あのときの甲子園は、あまり見てなかったんですよ。だからサダさんの勇姿もほとんど記憶にない(笑)。 定岡 ちゃんと見とけよ(笑)。 ──原さんについては。 川口 俺の1学年上なんだけど、実は、社会人のデュプロ2年目のとき、日本生命のグラウンドで、大阪遠征中の東海大と練習試合をやらせてもらったことがあった。日本生命と東海大の試合の前座でね。そのとき原さんを3三振に抑えて、試合も勝っちゃった(笑)。原さん目当てに女の子もたくさん見に来ていて、有名人だし、燃えるものがあったな。 定岡 いきなり自分の自慢か!(笑)。でも、僕も国体では3三振に抑えたよ。今でも辰徳に「サダさん、甲子園よりあのときが一番速かった」って言われる。あのころの辰徳は外の球には届くけど、インコースの速い球が打てなかったな。 ──原さんが巨人に入団した81年当時の思い出を。定岡さんは7年目ですよね。 定岡 江川(江川卓)投手が入ったとき(79年)の僕ら投手と同じように、野手陣にザワザワ感があったよね。要するに、チームは原を育てたい。でもレギュラーにはセカンドで篠塚、サードで中畑(中畑清)さんがいる。首脳陣も、どっちを取るか天秤にかけていて、大変だよなって思ってた。 川口 内野陣は戦々恐々としていたわけですね。 定岡 辰徳が一塁だったら簡単だったかもしれないけど、サードだからね。中畑さんを外すわけにはいかないから、結局・・・
本文:4,935文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール