『海に眠るダイヤモンド』が示したフィクションの力 次の世代に“記憶を受け継ぐ”ために
視聴者も端島の炭鉱で生きていた人たちの記憶を受け継いだ
『海に眠るダイヤモンド』は端島に生きた人々の青春群像劇であり、家族の話であり、恋愛の話でもある。原爆の話はけっしてメインストーリーではない。だが、「記憶を受け継ぐ」というテーマの中で深くかかわっている。 鉄平は百合子と原爆のことを日記に記し、読み終えた玲央の顔つきは明らかに変わっていた。その後、日記を読み進めて、鉄平や炭鉱で生きた人たちの人生を知った玲央は、虚無的な生活を捨てて人のために生きたいと願うようになる。いづみと玲央の脳内を通して鉄平の記憶はビジュアライズされ、我々視聴者も端島の炭鉱で生きていた人たちの記憶を受け継ぐことができるようになった。 端島で生きていた人がみんないなくなってしまったように、被爆者もいなくなりつつある。田中さんは授賞式のスピーチで原爆被害者が高齢化していること、10年先には証言できるのが数人になってしまうことに触れ、次の世代に運動が引き継がれることを期待すると力を込めて語った。 和尚を演じた長崎出身のさだまさしは、伯母から聞いた被爆体験を「広島の空」という歌にし、広島に原爆が落ちた日に長崎で無料の野外コンサートを20年続けた。すべては原爆の記憶を受け継ぐためだ。百合子を演じた土屋太鳳はブログで田中さんのスピーチに言及し、「『これから』のことを、人として、考えていきたいと思います」と綴った。(※2) 罪を犯すのが人間なら、記憶を受け継いでいくのも人間だ。当事者がいなくなってしまっても、社会の中で忘れ去られそうになってしまっても、誰かが覚えていてくれれば思いは受け継がれていく。『海に眠るダイヤモンド』を観た視聴者の心の中には、ドラマを通して端島についての記憶が息づくようになったはずだ。これこそフィクションの力である。それと同じように、私たちは次の子どもたちの世代のためにも、二度と過ちを繰り返さないように、悲しみを繰り返さないようにしなければならない。 参照 ※1. https://www.cinra.net/article/2412-umininemurudiamond-akikonogi_iktay ※2. https://ameblo.jp/tao-tsuchiya/entry-12878192701.html
大山くまお