2浪「東大文1」30年前に地方から目指した彼の奮闘 東大試験でまさかの事態、どう挽回したのか
その中でも私の学年は丙午(ひのえうま)の迷信があったので、とりわけ人数が少なく、同級生は11人しかいませんでした。4年生のときに親の転勤で本渡市の学校に転入し、全校生徒も200人に増えましたが、1学年1クラスだったのは変わりませんでした」 「人口は少ないし、産業もない場所だった」と語る田中さんの幼少期は、父親の過激なしつけが大きく影響していたようでした。 「親父に小学校1年生ごろから、繰り上がり・繰り下がりの足し算をやらされていたのですが、できなかったらそのたびに思いっきりぶたれました。筋肉隆々の30代の男性に、それをやられたらたまらないんです。何としても将来偉くなって仕返ししてやる! というモチベーションで勉強をしていました」
父親は2021年に亡くなったそうですが、それまでの人生でも、田中さんの頭の中にはずっと小さい頃の思い出が鮮烈に残り、見返す対象として、勉強を頑張っていたそうです。 ■いじめの対象になってしまった その結果もあって、小学校のテストでは100点を連発。中学校に上がってもトップクラスを維持しました。しかし、身体が弱く、運動が苦手だった彼は、いじめの対象になってしまったそうです。 「田舎だから、勉強しかできない人間はいじめられるので、小・中学校時代はそれで嫌な思いをしました。生まれてくる場所と親は、残念ながら選べません」
中学生になった田中さんは、進学校である熊本高等学校に進学しようと考えていました。 「中学校時代から『ブラック・ジャック』みたいな医者になりたかったんです。自分のように身体が弱い人を助けたかったのと、作品内に出てくるブラック・ジャックの父親も、悪いやつだったので、自分の境遇と重ね合わせていました。その影響を受けて、熊本大学の医学部に行くために、熊本高校に行こうと思っていたんです」 中3のときに、またしても父親の転勤で、本渡市内の別の中学校に転校した田中さんは、ここで初めて1学年が35人×2学級という、複数クラスに分かれる経験をしました。