SNS炎上は法律で規制できない?憲法は「表現の自由の権利」をどのように守るのか
法律はプラットフォームに介入できるか
――イーロン・マスク氏がTwitter社(現X社)を買収したことをめぐり、「SNSは公共のインフラか、あくまで私企業の商品に過ぎないのか」という議論が盛んに行われました。 志田教授:基本的に、国は国民の自由を制限することはできるだけ控えるべきだとされています。 たとえばインターネット上における表現の問題についても、個々のユーザーの投稿を国が規制するということはなく、プラットフォーム事業者のほうが規制の対象となります。 とはいえ、言論や経済の世界では、プラットフォーム事業者などの私企業も「法人」として、「私人」と同じく自由が保障されるべき存在でもあります。 つまり、私企業とはインフラにかかわる「責任」を持つ存在であると同時に、経済活動の「自由」を持つ存在でもあるのです。 私企業が持つ責任と自由のバランスをどう考えるかという問題は難しく、法学の世界でもまだまだ議論が続いています。 ――表現の自由は個人が持つ「権利」であるとされている一方で、表現が個人の名誉を毀損するなどして、他の人々の「権利」を侵害することもあります。権利と言えば「絶対に守られるべきもの」という印象もありますが、こういった「権利」どうしが対立する場合、法律ではどのように対処するのでしょうか。 志田教授:法律上の権利のなかでも、人間が生きる上でとくに必要で基本的なものが、憲法に「人権」として定められています。これは、長い歴史のなかで「人間にはこういった権利が必要だ」、「こういった権利侵害は見過ごしてはならない」という見解が徐々に積み重ねられてきたもので、「表現の自由」もその中に位置づけられます。それと同時に、それ自体は憲法上の「人権」とまでは言えなくても、歴史の中で共有されてきた重要な権利があり、「名誉毀損」における「名誉」はその代表と言えます。 個人に対する名誉毀損の問題は昔から論じられてきていたため、どういった行為が名誉毀損になるかということは、比較的はっきりと定められています。 一方で、集団に対するヘイト・スピーチの問題は法律の世界では最近になって注目されるようになってきた事柄であり、そのなかでも日本の法律はとくに対応が遅れているため、この問題に関する考え方や対処はまだはっきり定められていません。 いずれにせよ、ふたつ以上の権利が対立する場合には、権利は「絶対に守られるもの」として扱われるわけではありません。法律や裁判を通じて、権利にも「限度」が定められたり、一方がもう片方に譲るような調整が行われます。