SNS炎上は法律で規制できない?憲法は「表現の自由の権利」をどのように守るのか
憲法と「表現の自由」の関係
――憲法とは国民を守るために国家権力に制限を課すものと言われますが、憲法二十一条の「表現の自由の保障」はどのような運用が想定されているのでしょうか? 志田教授:憲法が保障している「自由権」は、近代型と現代型に分けられます。 世界に憲法が登場した18世紀~19世紀には「国王から市民の自由を勝ち取る」ということが課題となっていたため、国家権力に制限を課すことが重視されていました。「国家権力によって自由を制約されないこと」というのが「近代型」の自由権です。 しかし、経済の発展に伴い格差や貧困の問題が注目されるようになることで、憲法についても「国に国民の自由を制限させない」という消極的な面だけでなく「国が国民を支援する」という積極的な面が主張されるようになりました。なお、経済的な面で国民を支援する国家は「福祉国家」と呼ばれます。 経済的な福祉と同じように、自由権や参政権なども、それを成り立たせるためには制度やインフラの整備など国による積極的な支援が必要であることが理解されるようになりました。たとえば、参政権は、選挙制度がきちんと機能しなければ意味を持ちませんよね。 表現の自由も、インターネットのような技術の発展やインフラによって影響されます。「国民が自由を行使できるように保障するため、国家が制度・インフラを整備すること」が「現代型」の自由権となります。 ただし、インターネットやネット上での各種プラットフォームは、国ではなく私企業が作っているもの。「公道」ではなく「私道」です。そのため、プラットフォーム側としては「国は干渉してこないでほしい」と主張することもあります。 しかし、インターネットは、今日では公共的な情報インフラとしての価値をもつものとして利用されているので、国にもこのインフラを健全に保つという現代型の責任があると言えます。そのため、日本の総務省や海外の人権委員会などの各機関は、プラットフォーム事業のあり方に介入するわけです。 ――私人間の争いなどが原因で片方の「表現の自由」が制限されるような事態にも、憲法21条は関わってくるのでしょうか。 志田教授:たとえば私人どうしが互いの「表現の自由」を尊重しながら議論や討論をした場合、その結果としてどちらかが不快になったとしても、国家は介入しません。 しかし、言論によって片方が相手の名誉やプライバシーなどの権利を侵害する場合には、刑法による規制や、民法による法的責任の対象となります。 このとき、憲法は「国は法律によってどこまで私人の行為を規制できるか」ということを判断するものとして関わってきます。 たとえば、「行儀の悪い言葉や悪口などもすべて民法によって規制しよう」とか「国会議員に対する批判を許さない法律を作ろう」とかいった動きがあっても、憲法で表現の自由が保障されている以上、そんな法律を作ることは許されません。 つまり、私人間における問題において憲法は直接的には関わりませんが、刑法などによる規制や民法などに基づく裁判所の判決が適切なものかどうかを判断するための「評価基準」として、間接的に関わってくるのです。