拡大する「子どもの体験格差」を解消するのに欠かせない「大人たち」の存在
自分の暮らす地域で
しかし、重要なことに、「る・みゅう音楽教室」や「緑川道場」のような場はおそらく全国的に減少傾向にある。総務省統計局の調査によると、「教養・技能教授業」の事業所数が軒並み減少していることが推察できる(単純計算で、2001年から2022年にかけて全体でおよそ17%減)。 すべての子どもたちに分け隔てなく「体験」の機会を届けようとする社会にとって、この状況は逆風と言っていいだろう。いわゆる「部活の地域移行」を含めて、これまで学校が担ってきた機能を地域へ受け渡していくような動きもある中では、学校にさらなる役割を期待するのも現実的でない。 だとすれば、私たちにはそれぞれの街で、地域で、子どもたちに豊かな「体験」の場を提供する人々がこれまで以上に必要であり、加古さんや緑川さんのような「小さな担い手」たちを社会として支え、かれらと低所得家庭の子どもたちを結びつける方法を模索する必要がある。 ここで先ほどの5つの提案を再び思い起こしてほしい。そこには「体験」の費用を子どもに対して補助することや、「体験」と子どもをつなぐ支援の拡大などが含まれていた。あるいは、様々な「体験」の場をより安全にするための取り組み、公共施設の活用も含まれていた。これらは地域で「体験」を担おうとする大人たちを直接的、あるいは間接的に支えるだろう。もちろん、ピアノや空手がしたい子どもたちのことも支えるだろう。 例えば、緑川さんが空手教室の月謝を低所得家庭の子ども全員に対してまったくの無料にすることは難しいし、持続可能でもない。しかし、子どもたちが利用できるクーポンなどの仕組みをつくり、その対象に「緑川道場」が含まれていれば、個人ではなく社会として、子どもたちの「体験」を支えることができる。あるいは、別の大人が自分の得意や経験を活かしながら緑川さんのような活動を新たに始めることも容易になるだろう。 そして、地域の様々な教室やクラブにつながるコーディネーターがいれば、その子の気持ちに寄り添いながら、より相性の良い「体験」の場とつなぐことができる。何かを「体験」する中で、子どもにもっとやりたいものが見つかれば、別の「体験」を提案することもできる。 最後に、少しでも具体的なイメージを持ってもらえるように、私たちチャンス・フォー・チルドレンが東京都墨田区の周辺で始めた取り組みを紹介したい。 私たちは、一方では墨田区やその近辺に存在する「体験」の場を一つずつ探し、お話を伺い、理念に共感いただけた場合は協働を提案してきた。地域を歩き回るたびに、新たな「加古さん」や「緑川さん」との出会いがあった。ネット検索では出会えないことも多かった。口コミを頼りに新たなつながりを得る、それこそがローカルの現実ではないかと思う。 もう一方では地域の学校や福祉関係者の方々と連携しながら、低所得家庭の小学生たちにつながり、体験に利用できる奨学金(クーポン)を提供してきた。そして、個々の子どもの希望に沿って、ある子はキャンプや野外活動へ、ある子は絵画教室へ、ある子はスポーツ教室へと参加できるようになった。 こうして、墨田区では私たち自身がコーディネーターの役割を担い、地域にある資源を探し出し、それを必要とする子どもたちへとつなぎ始めたところだ。重要なのは、このように人、お金、情報がめぐる豊かなエコシステムを、それぞれの地域ごとに時間をかけて育てていくことではないだろうか。何もせずに放っておけば、かつてあった環境はゆっくりと、あるいは急速に失われていくかもしれない。だからこそ、できるだけ早めに手を打ち、体験格差に抗える地域づくりを始める必要がある。 私がこれまで日本中の様々な地域で出会ってきた「小さな担い手」の方々には、子どもたちに「体験」の機会を届けたい、楽しさを伝えたい、「体験」を通じて人生の中で大切な何かを手にしてほしい、そんな思いが共通していた。多様な子どもたちの個性や特性が尊重される社会のためにこそ、できるだけ多様な大人が子どもの「体験」に関わり、自分の好きなことや得意なことを伝えていくことが大切だ。 すべての子どもにとって「体験」は必需品であり、贅沢品ではない。だからこそ、体験格差は子ども自身や親、家庭の力へと放置されるべきではなく、社会全体で抗う必要がある。私たちには、それぞれが一人の大人として、自分の暮らす地域の中で、体験格差に小さく抗うこともできる。「体験」を担っていくことができる。そんな社会も、きっとつくれるはずだ。
今井 悠介(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事)