夫は「戦艦大和」で戦死した…わずか「2日間の結婚生活」で夫を喪った18歳妻の「悲しみの言葉」
横浜での挙式
世界各地で戦争が起きているいま、かつて実際に起きた戦争の内実、戦争体験者の言葉をさまざまな方法で知っておくことは、いっそう重要度を増しています。 【写真】戦艦大和のこんな姿が…! 呉工廠での最終艤装中の姿 そのときに役に立つ一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』です。 本作は、戦艦「大和」に乗り込んでいた著者の吉田が、1945年春先の大和の出撃から、同艦が沈没するまでの様子をつぶさにつづったものです。 吉田とはどんな人物なのか。1943年、東京帝国大学の法科在学中に学徒出陣で海軍二等兵となり、翌1944年に東大を繰り上げ卒業。その年の12月に海軍少尉に任官され、「副電測士」という役職で大和に乗り込みます。 やがて吉田が乗った大和は沈没するわけですが、太平洋戦争が終わった直後に、大和の搭乗経験を、作家・吉川英治の勧めにしたがって一気に書き上げたのが本書です。 その記述がすべて事実の通りなのか、著者の創作が混ざっているものか、論争がつづいてきましたが、ともあれ、実際に戦地におもむいた人物が、後世にどのようなことを伝えたかったのかは、戦争を考えるうえで参考になることでしょう。 同書では、艦内の出来事が生々しく描かれます。 たとえば、乗組員の一人・石塚少佐は、この出撃によって戦死しました。じつは彼は乗艦のほんの直前に横須賀で18歳の女性と結婚式を挙げていたのでした。彼とその妻の悲劇を、『戦艦大和ノ最期』より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 *** 「大和」乗艦ノ直前、横須賀ニオイテ挙式 倉皇トシテ赴任セラレタル事実ヲ、帰還後書類整理ニヨッテ知ル 花嫁ハ芳紀十八歳ナリキ マタノチ、ワレ未亡人ノ訪問ヲ受ケタリ ソノ語ラレシトコロ次ノ如シ 特攻出撃ノ折、夫君ノ奨メニヨリ呉ニ旅シテ、知人ノ宅ニ寄寓シ居ラレタリ 突入ノ当日ヲ遡ルコト数日、豪雨中ノ午後、夕刻マデノ数時間ノ短キ上陸ニテ立寄ラレタルモ、心ナシカ黙シ勝チニテ、シバシバ互イニ瞳ノウチヲミツメ合ウ瞬間アリシトイウ 忽チ時移リテ帰艦ノ時刻迫ル 訣(ワカ)レ際ニ「今度ハモットユックリ上陸出来マセンノ ドコカ山ニデモ登リマショウヨ」トネダリタルニ、矢庭ニミズカラノ腕時計ヲ外シ、妻ガ腕ニ強ク捲キトメタリ サスガニ胸騒ギテ、ソノママ手ヲ抑エツツ見上グレバ、彼莞爾トシテ、「コノ次俺ガ来ルマデ、俺ノツモリデ、大事ニ持ッテイテクレ」ト言イ残シ、後モ見ズ足早ニ去レリトイウ コノ時スデニ、出撃遠カラズトハ覚悟シ居ラレタルベシ 彼女、余リニ若クシテ人生ヲ知ラズ 運命ヲ気安ク見テ、夫ノ言葉ヲ信ジ、タダ安気ニソノ日ヲ待チイタリ サレド、心ナクモ夫ノ遺品ヲ受ケシ幼サニモマシテ、彼女ガ痛恨ニ耐エザルハ、昭和二十年四月七日、二時半、夫ガ戦死ノ瞬間ニ、空シク笑イサザメキテ、己レヲ娯シミイタル事実ナリ タマタマ知人宅ニ友達数人ト集イ、呉湾ヲ見ハルカス庭ニ出テ、塵ホドモ夫ガ身ヲ思ワズ、嬉々トシテ遊ビ興ジイタル事実──悔ミテモ、悔ミテモ、ナオ心平ラカナラズトイウ 石塚少佐ハ、ソノ後当直ノタメ上陸ノ機ヲ失イ、出動前夜ノ最後ノ機会モ、盲腸炎ノ緊急手術ニ当リ最終便ニ遅レタリ 彼ガ珍シク酒盃ヲ手ニシタルハソノ夜ナリ 彼ラガ真個ノ結婚生活ハ、新婚ノ二日間ノミ 出撃前、時折洩ラシタル口吻ニヨッテ、彼ニアルハ妻ニ非ズ、ムシロ清純花ノ如キ恋人ナラント、我ラ想像ヲメグラシ居レリ 最後ノ上陸ノ夜モ、モシ呉ニ新妻ヲ呼ビ寄セイタルコト知ラレタレバ、無理ニモ当直ヲ交代シテ、上陸艇ニ押シ込マレタルヤ必定ナリ ミズカラ最終ノ機会ヲ放棄セシ彼 彼ガ十八歳ノ若妻ニ求メタルハ、夢想ノ如クニ気高キ美シサカ 人生ヲ知ラヌママニ至純ナル愛カ マタ平凡自然健康ナル妻ノ本性カ ワレモシコノ時、コレラノ事実ヲ知悉シタルトシテ、彼ガ蒼白ノ額(ヒタイ)ニ、如何ナル同情ノ言葉アリシヤ *** * 【つづき】「「戦艦大和」の兵員が経験した、緊張感に満ちた「苛烈な業務」をご存知ですか?」では、大和での吉田の経験をさらに見ていきます。
群像編集部(雑誌編集部)