米艦の残骸見つかる、日本軍の猛攻かわした「踊るネズミ」 豪州沖
香港(CNN) 第2次世界大戦時に米海軍の軍艦による最も勇敢な戦いの一つとされた戦闘で沈没した軍艦の残骸がオーストラリアの沖合で発見された。米国とオーストラリアの当局者が明らかにした。 【画像】エドサルは1920年に就役し、42年3月1日に沈没した 今回見つかったのは、日本海軍との最後の戦いで、その滑るような動きから「踊るネズミ」として知られる駆逐艦「エドサル」。エドサルは1942年、オーストラリア沖で沈没した。 米国のキャロライン・ケネディ駐豪大使がエドサルの発見を発表。「ジョシュア・ニックス艦長とその乗組員は勇敢に戦い、日本の戦艦や巡洋艦からの1400発の砲弾を回避した後、26機の急降下爆撃機の攻撃を受けた。致命的な被弾は1発だけだった」という。 オーストラリアのマーク・ハモンド海軍本部長は、今回の沈没艦の発見は支援船「MVストーカー」の高度な水路測量能力の支援を受けたものだと明らかにした。 ハモンド氏はまた、エドサルの乗組員が42年3月1日に沈没するまで、国を守るために一連の戦闘を戦い抜いたことをたたえた。 米海軍歴史センター(NHHC)によれば、その日、日本の艦載機がクリスマス島の南南東約320キロの海域でエドサルを発見した。 日本の南雲忠一中将は、エドサルが自軍の約26キロ以内で発見されたことに「激怒」し、直ちに迎撃するよう指示したという。 20年就役のエドサルが保有する4インチ砲では、さらに大きな主砲と数十機の艦載機を擁する機動部隊に太刀打ちすることはできなかった。 NHHCのディレクター、サミュエル・コックス氏によれば、「エドサルが目撃された瞬間から、ニックス艦長の立場は絶望的だった」という。 それでもニックス艦長はあきらめなかった。最後の抵抗の証しとして、戦うことを選択した。 ニックス艦長は煙幕を張り、針路を変え、速度を変えて、日本軍の砲弾を回避しながら、魚雷を発射したが、これはわずかに外れた。 エドサルが1000発を超える砲弾を回避するのを目撃し、南雲中将はエドサルを攻撃するため3隻の空母から数十機の爆撃機を発進させるよう指示した。 少なくとも1発が命中し、エドサルは操船能力を失い始めた。 火災が猛威を振るい、船が沈むなか、ニックス艦長は最後の抵抗としてエドサルの船首を日本海軍の水上艦に向け、船を放棄するよう命令した。 日本海軍の軍艦が動けなくなったエドサルに大砲を向け、エドサルは最終的に撃沈された。 コックス氏によれば、こうしたエドサルの操船は日本軍の目撃者から称賛された。 エドサル発見の発表を受けて、当局者からもニックス艦長をたたえる声が上がった。 米海軍制服組トップのリサ・フランケッティ作戦部長は、ニックス艦長が、圧倒的に不利な状況に直面しても「船を放棄するな」という米海軍の信条を忠実に守ったと述べた。 エドサルの乗組員の大部分はその日の戦闘で死亡したが、一部は日本軍に救出され捕虜となった。 戦後、首を切断された遺体が現在のインドネシア・スラウェシ島で見つかり、遺体はエドサルの乗組員だと確認された。コックス氏によれば、墓地ではさらに5人の遺体が見つかった。こちらの遺体は身元が確認されていないものの、エドサルに乗船していた米軍パイロットだと考えられている。