「銀座のクラブに1人でやって来ることも」 石破新首相の大人な横顔と独自のライフスタイル
立ち上げた派閥との関連性
石破氏は永田町では人気がなく面倒見が悪いとされてきた。「銀座に1人でやって来る」という行動はどこかそれにつながるところがある。良く言えば、カネをばらまいて接待するようなことを一貫してやってこなかったとも言えるのだが、このあたりの独特の行動パターンが党内での基盤の弱さにつながっているという指摘はかねてからあった。 それでもなおある時期までは「派閥」のトップをつとめていたのは不思議といえば不思議な話ではある。もっとも、こちらも通常の派閥とはかなり異なる、独特の性質を持っていたようだ。 脱派閥を掲げていた石破氏がその態度をひるがえし領袖として2015年に旗揚げしたのが「水月会」。メンバーは当初20名。よく言えば少数精鋭、よい言い方でないとしたら紛れもなく弱小派閥だった。ただし、石破氏自身は水月会については、いわゆる旧来型の派閥とは異なるという認識を語っている。石破氏の著書『政策至上主義』にはこうある。
カネやポストが欲しけりゃ
「水月会とはどのような集団なのか、端的に示すエピソードがあります。 第二次安倍政権で内閣改造が行われたあと、何人かのメンバーが記者から、『水月会にいるとポストがもらえないんじゃないですか』という些(いささ)か意地悪な質問をぶつけられたことがあったそうです。すると、口々にみんな、こう返したそうです。 『カネやポストが欲しけりゃ、水月会なんかには居ないよ』 私はこれを聞いたときに、とてもうれしく思ったものです」 こうしたスタンスからは趣味・嗜好にどこか通じる青臭さが感じられる。このあたりが彼の国民人気に一役買った面はあるだろう。が、それでグループが一致団結し続けられるほど政治の世界は甘くない。その後、石破氏が総裁選で敗北を重ねる中で派閥から距離を置くメンバーがポツポツと出始める。 時の宰相である安倍晋三氏は選挙に連戦連勝し、長期政権を築いていた。安倍氏とは政治信条など様々な点で壁のある石破氏のもとにいてはポストを望めない。総裁選で4度目の敗北となった2020年9月、石破氏は会長を辞任。21年には派閥の存続を断念し、派閥から議員グループに衣替えを選択した。