吉岡稔真氏「神山さんがいる決勝戦で優勝することがうれしかった」 しのぎ削ったライバルに感謝
引退を表明した神山雄一郎が「(同世代の)吉岡君に認められる選手になりたいと頑張ってきた」と名前を挙げたのが吉岡稔真氏。吉岡氏に神山の言葉を電話で伝えると「自分の名前を出していただいて感謝してます。ありがたいです」と感謝した。 吉岡氏は神山の2歳下で90年4月デビュー。“F1先行”と呼ばれる華麗な先行で92年3月に前橋日本選手権制覇。史上最速の競輪ダービー優勝でG1初タイトルを飾った。同年12月にはグランプリ初出場初制覇。スター街道を順調に駆け上がっていた神山が2歳下の吉岡に捲られた年だった。 93年9月に神山が宇都宮オールスターでG1初優勝を飾ると本格化。92~94年に吉岡がG1競輪祭を3連覇すると95~97年のG1競輪祭は神山が3連覇。神山は95年と97年にG1・3連覇も達成。東の神山、西の吉岡が圧倒的な強さを見せる「東西横綱時代」だった。 吉岡氏は「僕は神山さんがいる決勝戦で優勝することがうれしかった。神山さんがいない決勝戦で優勝しても喜びは半分でした。神山さんは僕にとって凄い存在でした」と当時を振り返るほど神山と吉岡の対決は熱を帯びた。 東西横綱時代を表す記録では92~99年の賞金王は神山が5回、吉岡が3回。92~04年のオールスター競輪のファン投票第1位は吉岡が9回、神山が4回。神山がファン投票初の第1位に輝いた97年は「吉岡君に人気では勝てないと思っていた。ファンの皆さまに表彰式でお礼を言いたい」と優勝したことが記憶に残る。 G1開催の売り上げは94年の静岡日本選手権(6日間)の430億円が記録。年末のグランプリの売り上げベスト3も96~98年に記録。まさに東西横綱の対決にファンが魅了された時代だった。