中日・井上新監督は一見地味そうだけど…実は「伝説のプレー」の帝王 抗議電話が殺到した巨人戦の“誤審騒動試合”で見せた執念のバックホームとは
反骨心をバネに放った意地のホームラン
チームの優勝を大きくあと押しする値千金の同点本塁打を放ったのが、2006年8月30日の阪神戦である。 8回に勝ち越しを許し、1点を追う中日の最終回の攻撃も、虎の守護神・藤川球児の前に2死無走者とあとがなくなった。この場面で「代打・井上」が告げられる。 だが、たちまち2ストライクと追い込まれ、甲子園の虎ファンから盛大な「あと1球」コールが沸き起こった。 「何があと1球じゃ」と反骨心をかき立てられた井上は2球ファウルで粘り、カウント1-2からの6球目、「ストレートに自信のあるピッチャーだから高めに来る」と読むと、外角高め、151キロのボール球を「1、2、3」のタイミングで迷わずフルスイング。理想的な角度で上がった打球は、起死回生の同点ソロとなってバックスクリーンに突き刺さった。 試合は延長12回の末、3対3で引き分けたが、マジックをひとつ減らした中日にとっては、限りなく勝利に近い引き分けであり、落合博満監督も「ベンチのミスを井上が帳消しにしてくれた。井上様様だよ」と絶賛した。 その後、阪神は歴史的猛追で2ゲーム差まで追い上げたが、最後は中日が逃げ切り。結果的に井上の“伝説の同点弾”が大きくモノを言った。
落合監督も笑いをこらえきれなかった“珍プレー”
今度は珍プレーを紹介する。落合監督を爆笑させる“伝説の珍走塁”が見られたのが、2005年5月1日の横浜戦である。 6回にアレックスの3ランで3点を追加した中日は、代打・井上も右翼線にタイムリー二塁打を放ち、14対2と大きくリードを広げた。だが、次打者・荒木雅博の中前安打で本塁を突こうとした井上は、三本間でまさかの転倒。慌てて四つん這いになって三塁に戻り、かろうじてセーフになった。 ベンチの誰もが大笑いしたこのシーン。落合監督も初めは帽子で顔を隠し、笑いをこらえようとしたが、直後、「もうヤケだ」とばかりに帽子の“覆い”を外し、「ワッハッハ!」と呵々大笑する姿がテレビ画面に大映しになった。 「思わず足がよろけた」と大いに恥じ入った井上だったが、井端弘和の遊ゴロの間に15点目のホームを踏み、「得点できて良かったよ」と安堵の表情を浮かべた。 2007年9月24日、巨人との首位攻防戦では、“伝説の落球”を演じている。この日休養した中村紀洋の代役で3番レフトとして16日ぶりに先発出場した井上は、2対0とリードの2回、先頭打者イ・スンヨプが高々と打ち上げた左飛を捕球する際に、人工芝に足を取られて、スッテンコロリン! と前のめりに転倒。まさかのアクシデントに、アウトを確信していたマウンドの山井大介も思わず唖然とした。記録は三塁打となり、二岡智宏の二ゴロで1点差に迫られてしまう。 だが、中日は取られたら取り返す理想的な攻撃で7対5と逃げ切り、ゲーム差なしで首位浮上。もし負けていたら“戦犯”になるところだった井上も「チームメイトに助けられました」と苦笑いだった。2回の珍プレーは、打球に触れていないのに、誰が呼んだか、“伝説の落球”として語り継がれることになった。 来季は3年連続の最下位に沈んだ中日を躍進させる“伝説の采配”を期待したい。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。 デイリー新潮編集部
新潮社