平松愛理、「平成」でチャート圏外の作品が「令和」で再評価 阿久悠さんとの楽曲は「最初はサンバだったんです」
被災地でも歌い継いできた平松愛理、阿久悠や島倉千代子との思い出を語る
90年代に数々のヒットを経験した平松は、出産や闘病なども経験しつつ、音楽活動をマイペースに続けてきた。Spotify第25位の「花と太陽」(12年)や、第28位「アネモネ」(04年)は、そういった時期の作品だ。 「このあたりの曲を聴いていただけているのもうれしいですね。『花と太陽』は、東日本大震災の後に被災地を回った際の定番曲だったので、東北地方では『部屋とYシャツと私』以上にたくさん歌ってきました。これは震災前から作っていた曲なんですが、東北に行ってみて、仙台のテレビ局で披露して。そこから自分ができる活動として、被災地にコスモスの種を蒔いていく『花サカスプロジェクト』を立ち上げ、活動のたびにこの歌を歌っていました」 「花と太陽」は、 ♪あなたには花のように優しい私でいたい そしてあなたには太陽のように 強くありたいと心から願う/世界中の皆んなが誰かにそうでありますように 花と太陽であふれますように~♪ といった歌詞に乗せて、優しくも凛とした歌声が響くバラードだ。 さらに、配信されているベストアルバムにも未収録のため、SpotifyランキングではTOP40圏外となっている「美し都~がんばろや We love KOBE~」についても尋ねてみた。本作は、95年に阪神・淡路大震災の神戸復興「がんばろや! WE LOVE KOBE 」のキャンペーンソングとしてリリース。平松が立ち上げた復興支援ライブ「KOBE MEETING」では、サビの部分で ♪We love KOBE がんばろや~♪ と大合唱になるほど浸透している。 「阪神・淡路大震災の後、淡路島出身の阿久悠先生から“曲を書いてみないか”とお声がけいただいたんです。売り上げが寄付されるということで、“ぜひやらせてください”と引き受けました。これは先に歌詞をいただいてから曲を作った、いわゆる“詞先”の曲。当時、FAXからタッタッタと音を立てて、クセのある先生の文字が送られてきました。実は、最初に作った曲はサンバだったんです。でも、“これは違う!”と思って試行錯誤し、寄り添えるようにとバラードで作り直して、サビもみんなで歌えるようにしました」