沖縄陥落で延期、玉音放送で予定変更…まさかの展開で「特攻命令」を免れた元学徒兵たちの証言「ハァーって溜息が出るような気持ち」
片道の燃料で沖縄へ向かったが…
この沖縄防衛戦では、未熟な学徒兵が次々と特攻の命令を受けていた。 海軍のパイロットとして訓練を受け、成績が良かったため実施部隊に配属となった小林三樹太郎氏(81)は、水上機で毎週のように繰り返し特攻を命ぜられていたという。 「一通りの訓練が終了して、実施部隊に配属されたのが昭和20年3月の半ばでした。前の年の12月に少尉になっていたから、従兵もついていて気分が楽になるかと思っていたら、4月1日に特攻隊員の任命を受けたんです。今度は特攻の訓練を受けて、出撃命令が出たのが5月3日。特攻隊員に選ばれても、中々飛ばない奴もいるんですが、私なんかは真っ先に飛ばされたクチですよ。4日の未明3時頃に、片道の燃料と爆弾を積んで、沖縄に向かったのです。 ところが、4機編隊で飛んでいったら、先輩の乗った1番機が奄美大島の辺りで進路を変えたので、“ひょっとすると攻撃中止命令でも出たのかな”と思って、後にくっついていったら、水上基地に不時着したんですよ。後でパイロットに聞いたら、“4番機が離陸するまで空中で待っていたから、燃料が切れた”って……。 僕らは、技量が未熟だったので、4機1度に離水して編隊が組めなかった。だから1機ずつ飛んで、全機揃わないと出発できなかったんです。本当は、“編隊の別の機に何かあっても単独で沖縄に行け”とも言われていたんですが、1番機がいないのも寂しかったからね」
整備兵が燃料を入れ間違えて
が、基地に戻ってホッとするまもなく小林氏には1週間後、再び、特攻の命令が下った。 「おそらく、一旦戻ってきた奴を後回しにすると、みんな戻ってきちゃうって考えたんだと思います。でも、この時は、僕の飛行機だけが離水できなくて、何度もやっているうちに夜が明けてしまったんです。こちらはオンボロ飛行機ですからね、敵の寝込みを襲わなければ成功するわけがないので、その日は中止になりました。 その1週間後が3回目の特攻です。が、この時は、途中で天候不良となって中止。また、1週間後に特攻する予定だったんですが、整備兵が燃料を入れ間違えて、3番機には往復分を積んで、2番機は空っぽなんてヘマが起きてしまって……。燃料の積み替えをしているうちに、やっぱり夜が明けちゃったんです」 そうこうする間に沖縄が梅雨入りし、特攻計画が延期状態になって、まもなく沖縄が陥落。小林氏は任務を失い、待機のまま終戦を迎えたのだ。