スクエアプッシャー『Ultravisitor』20周年 真鍋大度が語る、間近で見た「鬼才の凄み」
言わずと知れた鬼才、スクエアプッシャーことトム・ジェンキンソンの7作目のアルバムにして、その評価を決定づけた金字塔的作品『Ultravisitor』が今年でリリース20周年を迎え、トム・ジェンキンソン自らの監修のもと【Loud Mastering】のジェイソン・ミッチェルによって、オリジナルテープからリマスタリングされ、レア音源や豪華ブックレットを加えた『Ultravisitor (20th Anniversary Edition) 』として再発。 【画像を見る】史上最高のベーシスト50選 そんなタイミングで、トムと親交の深いオーディオ・ヴィジュアル・アーティスト/DJ/プログラマーの真鍋大度を招いて話を訊いた。2013年のZ-MACHINESのプロジェクトで初めてコラボレーションして以降、2015年に行われたスクエアプッシャーの来日公演ではオープニングアクトを務め、2017年のショバリーダー・ワンのライヴではヴィジュアルを担当、2020年のアルバム『Be Up A Hello』に収録された「Terminal Slam」のMVを手掛け、2022年のジャパン・ツアーにも帯同するなど、数々の共演、共作を重ねた真鍋はスクエアプッシャーの音楽を、『Ultravisitor』をどのように聴いたのだろうか。
機械と人間、どっちが鳴らしているかわからない面白さ
─まずは真鍋さんがスクエアプッシャーの音楽と出会ったときのことについて教えていただけますか? 真鍋:当時の僕の情報源のほとんどはレコ屋の推薦文だったので、スクエアプッシャーの存在もそこで知りました。当時の僕はどちらかと言うとヒップホップ系のDJで、聴いている曲もヒップホップ寄りのものが多かったから、彼の作るドラムンベースを進化させたような音楽にはあまり触れていなかったんですけど、それでもかなりの衝撃があった。「とんでもない人がいるんだ!」と思った記憶があります。それにあの頃の自分はMPCやSP-1200を使っていたから「どうやって作っているんだろう?」という疑問もあった。たぶん『Hard Normal Daddy』(1997年)以降の彼の音源はほぼリアルタイムで聴いているんじゃないかな。 ─その頃の音楽好きの盛り上がりも凄まじかったのではないかと思います。周囲の反応はいかがでしたか? 真鍋:当時の僕の周りは本当にヒップホップのDJの友達ばかりだったので、そこまでではなかったんです。その中で僕はサンプリングネタを探す意味合いの方が強かったですけど、いろんなジャンルを聴いている方だったんですよね。IDMという言葉をトムは嫌いだと思うんですけど、便利なんで使ってしまうと、IDMや〈Warp〉系と呼ばれていた音楽を聴く仲間が増えたのは僕がIAMAS(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー)という学校に行ってからで。2002年くらいからなんです。 ─では『Ultravisitor』が2004年にリリースされたときはすでにいっしょに聴く仲間ができていたんですね。『Ultravisitor』を初めて聴いたときの印象は覚えていますか? 真鍋:それまではグラフィックなどが使われていたジャケットが彼自身のポートレートを用いたものになっていて、「こんな人なんだ!」というインパクトがあったし、きっと何か心境の変化があったんだろうと考えたりしました。それに、いつもそういうタイプの曲を作っていると思うんですけど、やっぱり期待に応えつつ予想を裏切ってくるような感覚があって。でもパッと聴いてすぐにその良さがわかったわけではなかったなと、今あらためて聴くと思いますね。 ─『Ultravisitor』は収録時間も長いですからね。時間をかけて理解していったんですか? 真鍋:理解したと言えるかわからないですけど、自分の耳が成長した上で聴き直すとまた違った発見があったり、どんどんそのスゴさに気づくポイントが増えていくんです。そういう意味でも、すごく良いアルバムだと思います。でも同時に、例えば「Iambic 9 Poetry」のような、本当に聴きやすいメロウでロマンチックな曲もあるし、疾走感に溢れた曲もある、振れ幅の大きいアルバムなんですよね。 ─では現在の真鍋さんにとって『Ultravisitor』はどのような作品ですか? 真鍋:リズムが中心にあるアルバムなんじゃないかと思っています。これは本人に聞いた話もありつつですけど、すごく複雑にドラムのプログラミングをやっているように感じるけど、一方で人力でやっている部分もあり、ベースなどの生楽器がいろんな形で使われていたりもする。ドラムとベースで作る新しい音楽にチャレンジしているようにも感じますし、機械と人間の対比が即興とプログラミング、打ち込みの組み合わせによって表現されていて。「プログラミングかな?」とか「生音かな?」とか思ったら、そうじゃなかったりすることが全体を通していくつもあって面白いんです。 それに彼のスゴさは、彼自身がマルチプレイヤーとして訓練を重ねて人間の演奏スキルの限界を表現していることにもあります。打ち込みを使わなくても音楽ができる強さがあり、だからこそ説得力が生まれている。機械と人間、どっちが鳴らしているかわからないという面白さは彼が生演奏できるからこそなんだろうなと。