<強く、前に・’21センバツ明徳義塾>春への軌跡/上 2度は負けられない /高知
「武漢ではやってる新型コロナウイルスは大丈夫かねえ。センバツには影響せんよなあ」。2020年2月、須崎市の山中にある明徳義塾の野球道場。厳しい寒さの中、馬淵史郎監督は冗談めかして言った。ウイルスによって社会が一変してしまうことなど、その時は誰も予想だにしていなかった。 だが、想像を超えたウイルスの猛威で春と夏、2回の甲子園大会の中止が決まる。3年生は最後となる年に、ずっと憧れていた舞台に挑戦することすらかなわなくなってしまった。その救済の意味を込めて8月に開催されたのが、甲子園での「交流試合」だ。センバツ出場予定だった32校が招待され、明徳義塾も試合に臨んだ。 対戦相手は19年の秋季中国地区大会で準優勝した鳥取城北。相手投手の好投に阻まれなかなかヒットが出ない。それでも明徳義塾は試合巧者の貫禄を見せ、ノーヒットのまま2点を挙げる。このまま無安打勝利を飾るかと思われた。 ところが八回、試合は大きく動く。沈黙していた相手打線が息を吹き返し、3点を奪われ、逆転を許した。点差は2点、なおも1死一、三塁。その緊迫した場面で救援したのが現エースの代木大和投手(2年)だ。なかなかストライクが入らず、しぶとい打線にも苦しめられ打者は一巡したが、なんとか1失点で踏みとどまる健闘を見せた。 危機を脱したチームは3点を追うその裏、2点を返す。タイムリーで貢献したのは現主将の米崎薫暉選手(2年)。さらにその後、九回裏に4番・新沢颯真選手(3年)がタイムリーを放ち、チームは劇的サヨナラを果たした。3安打で6点を奪う衝撃的な勝ち方に注目が集まったが、その陰には2年生だった2人の活躍があった。 交流試合のメンバーに入った下級生は、代木投手と米崎選手に、加藤愛己選手(2年)を加えた3人のみ。甲子園初登板で見事勝利投手となった代木投手だったが、試合終了後、浮ついた表情を見せることはなかった。「これからは今ここにいる3人がチームを引っ張っていかないといけない」 交流試合を終えるとすぐ、米崎選手を主将に据えた新チームが始動した。初の公式戦となる県内の新人戦、決勝で当たった相手は強敵・高知。先発した畑中仁太投手(2年)は、ソロ本塁打1本を除いては要所を締めた好投を見せた。だが、守備の細かなミスやバントの失敗が響き、結局この1点が決勝点に。0―1で敗北した。 「同じ相手に2度は負けられない」――。高知とのライバル関係が、9月に開幕する秋季四国地区大会県予選で県高野連史上に残る白熱の試合を巻き起こすことになる。【北村栞】 ◇ 「前にしか飛ばない」などとして古来「勝ち虫」と呼ばれ、明徳義塾野球部のトレードマークにもなっているトンボ。コロナ禍で大会の中止や社会生活の変容といった苦難にぶつかりながらも、トンボのように、ただ真っすぐ前に向かって歩み続けてきた選手たちの強さを3回に分けて振り返る。