絵を描くことが好きだった少年時代、疎開していた美しい湖のほとりで感じた創作の源流 芸術家フォロンの祖国㊦
「実は屋根裏にユダヤ人をかくまっていたそうです」とベルゲムさん。「ナチスからの差し入れが渡った先が実はユダヤ人だった…。彼は愉快そうに教えてくれました」
静かな時が流れるこの地にも、当時は間違いなく戦争の気配があっただろう。幼少期のフォロンは何を感じていたのだろうか。
■思い出のグルメ
ベルギーをたつ前日、フォロンが通ったブリュッセルのレストランを訪れた。
フォロンが愛したという白身魚のムニエルと白アスパラガスのソテーを注文。ムニエルは淡白な身に濃厚なソースがマッチして絶妙な味わい。春先にしか食べられない白アスパラガスはフォークで切れるほど柔らかく、ゆで卵を使った特製ソースとの相性が抜群だ。きっとフォロンも気の置けない友人とともに特別な時間を過ごしたのだろう。
自然を愛し、暴力に反対するヒューマニスト(人道主義者)ともいわれたフォロン。その感性が磨かれた創作の源流を垣間見た気がした。
■ジャン=ミッシェル・フォロン ブリュッセル近郊出身の世界的芸術家。幼少期から絵を描くことが好きで、建築学を学ばせようとした父親に反発して21歳で渡仏。当初は芽が出なかったが、20代半ばで米誌「ザ・ニューヨーカー」などにイラストが採用され、世界的にも名前が知られるように。その後、タイプライター製造会社として創業したイタリアの老舗、オリベッティ社の広告なども手掛けた。2005年10月、白血病のため死去。(小川恵理子)