中年のお誕生日、どう過ごす?かつては盛大に祝っていたが、今はSNSの通知も切って静かに過ごしている
◆中年バースデー改革 そんなお祭り騒ぎを経て、おばさんの仲間入りをした頃から「誕生日は静かに過ごそう」と気持ちに変化の兆しが現れた。仲の良い人と時間があえば個別に会って、好きなものを奢ってもらう。割り勘でも構わない。それが決行されてもなれなくても、どちらでも良い。タイミングがあえば行こうかくらいの感覚。 私はフリーランスで働いているので、その日を休みにすることが多い。普段は仕事に追われてなかなか行けない美術館やレストラン、神社、日帰り温泉、時には推しやテレビドラマのロケ地(熱血ドラマオタクです)聖地巡礼と過ごす。人からどう思われようと、今日は私にしか訪れない祝日だ。 加えて、現代っぽい話だと思うけれど、最近、SNSの誕生日表示を外した。あの通知によって当日はありがたいことに「おめでとうございます!」ラッシュになることもあったけれど、返信が大変なのだ。私がそんな現象には知らんふりできるような大物かといえば、違う。ひとつずつ、コメントを返す。「この人いつ会ったっけ?」と思いながら、コツコツと返すのが誕生日翌日の恒例行事。 表示を切るまでは「本日、誕生日です」投稿をしていた時期もあるけれど、それもやめた。もう人生の折り返し地点の近くまで生きているのだから、覚えてくれている人が連絡をくれたらいい。 と、こんなことを並べていると、誕生日縮小図のような寂しい話になってしまうけれど、そうではない。繰り返すが、「好きに過ごしたらいい」ということ。大勢に祝ってもらおうが、ぼっちだろうが、普段と変わらず仕事をしようが。当日の過ごし方の選択権は自分にある。ただ自分が当日から1歳、年を重ねることは忘れないでほしい。
◆プレゼントの予算は? 変わらないことといえば、プレゼントだろうか。 誕生日プレゼントに、リクエスト制を導入したのも、40代になってからだ。当日が近くなってくると、友人同士でLINEをし合う。 「今年の誕生日プレゼント、何がいい?」 「ちょうど観葉植物がほしかった。サイズは高さ30センチくらいで、小さいものがいいんだけど」 「私も欲しかったから今度、目黒あたりで探してくる」 年をとるとなにかと合理性を選ぶようになるのは、処世術なのだろうか。 余談だが、このリクエスト制の誕生日プレゼントの、予算についてちょっとした思い出がある。私は誰かに買うときは、いつも5,000円程度を用意していた。超高級品をもらっても負担だし、逆にせっかくの誕生日に安っぽいものは気が引ける。その折衷案が5000円だった。 とある3人グループで、1人の誕生日を祝うため、プレゼントを買うことになった。私はいつも通り、2人それぞれが5000円くらい出すのかと言うと、もう1人がこう答えた。 「1人、2000円くらいで良くない?」 ……確かにふたりで2000円ほど出し合えば、5000円には近づくだろう。私は「2人で5000円ずつ出せば、1人で買うよりもいいものが買える!」と軽く思っていたので、彼女の考えが意外だった。実はその彼女、当時の飲み仲間内では有名なお嬢様。とはいえ、高飛車なわけでもなく、実家が太いことを自慢するわけでもない女性。そんな彼女から聞いた2000円のプレゼント予算。金持ちとはこういうところで倹約ができるから、金持ちなのだろうと、しみじみ。きっと彼女は親から倹約教育を受けたんだろうなあ。