「重力は上から下に働いている」という「大きな誤解」…「地球が丸くても、反対側の人間は落ちない」のはなぜなのか?
「慣性の法則」ってなんだろう
この「質量」という概念があると、さまざまな物理現象を明快に説明できるようになる。たとえば、ガリレオ・ガリレイが発見したとされる「慣性の法則」がそうだ。 慣性は「運動している物体は、その運動を持続しようとする性質を持つこと」を意味する言葉だ。「物体に力が働かない場合、物体は静止し続けるか、同じ速度で運動し続ける(等速度運動)」。 慣性は何かしら単位があって量が測れるようなものではない。質量があるものにはすべて慣性が備わっているが、慣性の大きな物体と小さい物体があるわけではない。その意味では慣性とは、質量のある物質が持っている性質を持っているかどうか、つまり、有無を示すだけの言葉である。 質点(大きさはないが質量がある存在を物理学ではこう呼ぶ)を水平に投射した場合を考えよう。もし、重力がなければ、その質点は水平を保ちながらただまっすぐ進む。だが、地球上では水平投射された質点はまっすぐに飛ばず、その軌道は下に向かってねじ曲げられる。重力が働いているからだ。 質点の運動の軌跡は一般にこのまっすぐ進みたいという慣性の法則と、それをねじ曲げる重力とのせめぎあいで決まる。初速が遅ければ重力の効果は大きく、軌道は大きくねじ曲げられる。一方、初速が速ければなかなかねじ曲げられず、比較的まっすぐ飛ぶことになる。 ここで思考実験をしてみよう。ボールをけっして地面に落ちないように投げるにはどうすればいいか? 地面が平らなら、無限に速い初速が必要なはずだ。しかし、ご存じのとおり、地球は平らではなく、球形をしている。 ある時期まで、人類は地球が平らだと思い込んでいた。地球が丸いと(正しく)看破した人間は笑われたという。「丸い? じゃあ、反対側の人間はどうなるんだ? 真っ逆さまに落ちてしまうではないか?」と。 だが、これは「重力は上から下に働いている」という大きな誤解に基づいている。実際には重力は上から下に向かって作用などしていない。重力は地球の中心に向かって働いているのであって、「たまたま」それが「上から下」という方向に一致しているだけだ。 ボールを投げて、絶対地面に落ちないようにするには質点の水平投射速度をどれくらいにすればいいか、という問題に戻ろう。もし、地面が平らでなく曲がっているなら、質点が下がっていくにしたがって、地面も「下がって」いくので、地面に必ず衝突するわけではないかもしれない。そうなると、「地面に衝突しないようにするためには無限に速い初速が必要だ」という前提はもはや正しくないかもしれない。 さらにもう一点、重力は上から下に向かって働いているわけではなく、地球の中心に向かって働いている、という事実も加味する。そうすると、地面に向かって落ち始めた質点にかかる重力は実際には下向き、ではなく、(最初の向きからすると)ちょっと斜めになる。 こういうことをすべて考慮すると質点が地面に引き寄せられる割合と、地面が下がっていく割合がちょうど同じくらいの場合、すなわち、地面と質点の距離が変わらない場合がありそうな気がする。これはもはやまっすぐな運動ではないが、地面と質点の距離、つまり質点の高度が変わらないのだから、水平な運動と思ってよいだろう。 逆説的に言えば、地球が丸い、という事実を人類が理解するためには「重力に引かれて下に向かって落ちているはずの質点がいつまで経っても地面に落ちないで水平に飛んでいるように見える」という事実を確認するだけでよかったはずだ。この事実を見れば「地球は平らではありえず丸くなくてはならない」ことを嫌でも認識せざるを得ない。 残念ながら地球上には空気抵抗もあるし、凸凹もあるので、「地表から1mの高さを維持しながら地球を一周する質点の運動」を我々は見ることができない。だが、もし、それができたら、うまい速度でボールを水平に投げてやれば、そのボールは長い時間の後、地球を一周してあなたの背中に当たったことだろう。それができないのはつくづく残念な話だ。 ちなみに、ガリレオが発見した「慣性の法則」はあくまで重力に垂直な方向、つまり、水平方向に沿った運動であり、地球が丸いことを認識していたガリレオは、慣性の法則にしたがった地上での水平運動は、直線ではありえず、曲がった軌道になるだろうということを正しく認識していたそうだ。 この「地面に向かって落ちているはずの質点が地球が丸いせいでちっとも落ちなくて、そのまま一周してしまう」という現象を工学的に応用したのが人工衛星である。 たとえば、アメリカの実業家イーロン・マスク率いるスペースX社はこの技術を使ってウクライナ紛争で有名になったスターリンクという名の衛星電話を実現した。2024年1月時点で約5000機という膨大な数の通信衛星が地球の周りを周回し、地上に設けられた基地局間の通信を担っているという。 スマホなどを使う場合、通常は間近にある基地局と端末でデータ通信を行い、基地局間の通信はケーブルを使うのだが、この基地局間の通信を衛星で肩代わりするのが衛星電話である。 衛星は地上から見て上空に止まっているわけではないが多数の衛星を飛ばすことで個々の衛星は通り過ぎてもいつも複数機の衛星が基地局上空にいるようになる。そうすることで、基地局間をケーブルでつなぐことなく、スマホによる通話を可能にする。これも一度打ち上げたら落ちてこない人工衛星という技術があって初めて可能なことである。 原理的にはこれは飛行機でも実現できるが、つねに燃料を消費しないと空中にとどまっていられない飛行機を使ったのではとてもペイしない技術になってしまうだろう。
田口 善弘(中央大学理工学部教授)