ワードプロセッサーが1台80万円!…21世紀は「ワープロが全世界を支配する」と思われていた時代に「起きていたこと」
ファクシミリ普及前夜
かつて雑誌の原稿は手で書いていた。 ときどきそれをおもいだすことがある。 私は1984年に大学を卒業して、それ以来というか、その少し前から原稿書きの仕事をしていた。 【マンガ】カナダ人が「日本のトンカツ」を食べて唖然…震えるほど感動して発した一言 このころ、原稿はすべて手書きだった。 ファクシミリも持っていなかった。1984年時点ではまだあまり個人が持つものではなかった。出版社にもそんなに普及していなかったイメージがある。少なくとも電話線がまだ電電公社のものだった時代(1985年3月末まで)ファクシミリは普及していなかった。 1台導入するのに、かなり費用がかかったのではないだろうか。 1985年以前にファクシミリを個人使用していた物書きはかなり少なかったとおもわれる。 大作家なら買えたかもしれないが、大作家先生の原稿は、編集者がその家まで取りにいくものだったから、ファクシミリを使う機会もあまりなかったとおもわれる。 ファクシミリを使わない時代、たとえば私にとって1984年から1985年ころは書きあげた原稿は、出版社まで自分で届けにいった。 手で書いた原稿を、編集部まで自分で運んだ。 ときにぎりぎりまで仕上がらず、さらにぎりぎりを超えても仕上がらず、仕上がってない原稿を抱えてそのまま電車に飛び乗って、車内で一心不乱に残りを仕上げる、というようなこともしていた。 周りを気にせず書いていたこともあったし、似たような仕事の人が電車の中で一心不乱に原稿を書き続けているのを見かけたこともあった。 編集部や、もしくは応接の間、ときには近所の喫茶店などで、担当の編集者と会って、原稿を渡す。 だいたいの編集者は、それをもらって、目の前でチェックした。 もう40年も前のことだが、おもいだすだに胃が痛くなりそうだ。
手書きとワードプロセッサーの境目
自分ではおもしろいと信じて書き上げた原稿だけれど、目の前で編集者に読まれるときほど怖いことはない。 編集者は無言のまま、むずかしい顔をして、原稿用紙を一枚ずつ繰っていく。また、その繰るスピードが早いのだ。 あの時代の編集者は、手書きの原稿用紙を読むのはおそろしく早かった、ような気がする。すべての人ではないが、でも早い人はちょっと人間ワザとはおもえないスピードで、さっさっさっと原稿を繰って読んでしまっていた。 いや、ぜったい、それ、きちんと読んでないでしょ、というスピードで目を通して、はい、おもしろいです、と淡々と言われるので、いつも驚いた。 いまずっと怖い顔して読んでいて、それでおもしろいと言われても、信じられるわけないでしょー、と心の中で叫びつつも、口からは「ありがとうございます」とだけ言うのが精一杯である。 おもいだすだに冷や汗をかきそうである。 このころは全部、原稿は手書きである。 ただこのあたりが境目のようだ。 どうもこの時代のことを調べて、自分の記憶と照合しながら書いていると、私がプロの物書きになった1984年は、まだ世の中は完全な旧体制の中にあり、でもその翌年1985年あたりから、新たな時代が始まりだした境目のようなのだ。 ワードプロセッサーもそうである。 1970年代の後半から、日本語ワードプロセッサーというものが開発され、売り出されていたのだが、それがふつうの人でも買える価格帯で売られ出した端緒が1985年である。 新発売になった画期的製品が浸透していくには、少し時間がかかる。 先端的な学生が安い(といっても5、6万円くらいはしたのだが)ワードプロセッサーの購入を始めたのが1987年あたりである。 私は、なぜだかファクシミリもワープロも、リースで高いやつをレンタルしていた。