日露戦争のロシア兵捕虜、釣りや買い物楽しむ優雅な暮らし…福井県に1枚だけ残る集合写真
地元写真館が保存
1895年創業の福井県鯖江市の恵美写真館に、ひげ面の男たちの集合写真が残る。彼らは1904年に始まった日露戦争で、捕虜となって鯖江にやって来たロシア兵だ。浄土真宗・誠照(じょうしょう)寺を宿舎とし、釣りや買い物を楽しみながら、約8か月後に帰国した。今年は日露開戦120年。市まなべの館の藤田彩学芸員(36)は「ロシア兵捕虜が鯖江にいたことは今や市民に忘れ去られているが、その写真は貴重な歴史的資料」と語る。(辰巳昌宏)
ガラス乾板
日露戦争では、7万人以上のロシア兵が捕虜となり、松山や金沢など全国29か所に収容された。鯖江もその一つで、05年4月に開設された。当時の軍の資料では、捕虜は将校、下士官ら約40人とされる。ただ、誠照寺史は約100人と記録する。どの戦場から送られてきたかはわかっていない。
ロシア兵の写真は、写真館2代目の恵美善之助が撮影した。善之助は、国登録有形文化財となっている洋風造りのスタジオを建て、撮影を依頼されると、鑑札(証明書)を持って人力車で各地を回ったという。
誠照寺阿弥陀堂とみられる前で、日本人らしい人を中心にして周囲に捕虜が3列に並んだ計21人が写る。ゆったりとした穏やかな表情だ。フィルムカメラが普及する前で、薬剤を塗ったガラス乾板が使われた。撮影日時は記載されていない。捕虜は12月初旬に帰国しているため、05年中の撮影とみられる。
善之助の孫で4代目の恵美一夫さん(85)は「捕虜を撮ったのはこの1枚だけで、暗室の奥に置いてあった。軍人だった父には戦後も、『写真のことはしゃべるな。目立たないように隠しておけ』と言われました」と話す。一夫さん自身が原板から写真を作ったのは昭和の終わり頃だったという。
第三十六連隊
日露戦争が始まる8年前、陸軍歩兵第三十六連隊が鯖江に創設された。鯖江が収容先に選ばれたのは、軍隊の町だったことが影響している。藤田学芸員は「近くに憲兵隊が駐屯して鯖江駅もあり、監視や警備、輸送がしやすかった」と説明。付近で収容所となりうる大きな建物と言えば誠照寺だった。「明治時代半ば、町の人が威信をかけて寺を再建しており、立派な建物をロシア人に見せたかった気持ちがあったのかもしれない」と想像する。