「私の身体は私そのもの」という考え方は本当に正しいのか…常識をブチ壊す「哲学の大激論」
自分の身体は自由に処分できる?
「私の身体は私そのものである」こと、言い換えれば「私の身体のかけがえのなさ」を表現するためには、「所有する」という概念はあまりに限定的であるという批判もある。 しかし私は、「自己による自己の身体の完全支配」イコール「他人からの介入の排除」という法学的意味を強調するという点で、「所有」という概念に依拠したいと思う。 自己所有論に基づけば、自分の身体は自分の所有物なのだから、自分の意思で自由に処分してよいということになりそうだ。 だが、ロックはピューリタンであったこともあり、自己の身体は厳密に言うと「神から預かったもの」である、だから大切に維持すべきであり、自殺というかたちで損壊させてはいけない、という制約をつけていた。 しかし、この神から預かったという前提を外して考えてみたらどうだろう。物の所有権と同様に、自分の自由意思によって自分の身体を自由に処分するということが許されるのではないだろうか。 たとえば、病める他人を救うために、自分の臓器を適正な価格で売りますという決定をして、何がいけないのだろうか。 さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美