「135年間ありがとう」 途方もない歴史を持つ交通機関なぜ廃止? 「できることはやってきた」それは“瀬戸内の風景”の異変
半世紀前からの“異変”がついに具体に
「福本渡船」が来春の廃業を決定した背景には、9月30日付告知に記した「施設の老朽化」以前に、橋梁の建設によって島々が「陸続き」となった影響があったと言えます。 本土と向島を結ぶ1968(昭和43)年の「尾道大橋」開通から始まり、1999(平成11)年の「新尾道大橋」(しまなみ海道の一部)開通、そして2013(平成25)年の「尾道大橋」完全無料化に至る「陸続き」化の流れは、自動車運搬を主軸としてきた渡船業者にとって深刻な問題でした。 ほかの民間渡船業者が次第に撤退し、2021(令和3)年には「兼吉渡し」(兼吉-土堂)と「駅前渡船」の2航路が第三セクターの「おのみち渡し船」に引き継がれたことで、民間の運航は「福本渡船」のみとなりました。 さらに近年は、設備の修繕に不可欠な鉄材の高騰や、現場人員の高齢化、学生利用の減少といった困難にも直面していました。行政から特段の支援も得られないなかで、「できることはやってきた。続けられるものなら続けたかったが、今しかないと思って廃業を決めた」と福本社長は胸中を語りました。 来春に「福本渡船」が廃業したあと、尾道水道の「渡し船」に民間の渡船業者はいなくなります。尾道市では、第三セクターの「おのみち渡し船」が使用する新船の建造に向けた公募を行う一方で、「福本渡船」が運航してきた航路については現時点で何も検討していないとのことです。 ただし、尾道市観光課では、しまなみ海道に向かうサイクリストに対し、向島に渡る交通手段として「渡し船」の利用を推奨しています。尾道の「渡し船」は、時代の求めに応じてかたちを変えていく時なのかもしれません。「渡し船」のいない尾道水道など誰も想像できないでしょう。
山本佳典