【わかるニュース】党勢回復の切り札は〝3度目の都構想〟か
常勝『大阪維新』のいらだち
『大阪維新』の首長や地方議員は、『日本維新』に対して常に上から目線で見ている。先の衆院選でも府内19小選挙区で全勝。これまで蹴散らしてきた自民、立憲などだけでなく、初めて公明と直接対決した4選挙区も勝ち抜いた。『日本維新』が小選挙区で勝ったのは大阪以外では、前原共同代表の京都2区や、直前に合流した『教育無償化を実現する会』組と西日本の数人のみ。東日本は音喜多駿・党政調会長(41)や小野泰輔・元熊本県副知事(50)ら有力議員が相次いで落選した。このため、『大阪維新』からすれば「(大阪では)維新政治が評価され、国政選挙でも人気を反映して常勝しているのに、東京や他県は何をしている?」と不信感を増している。 『日本維新』は衆院で前回比わずか3議席減の38議席だったのに、党執行部の責任問題に発展。同じ大阪小選挙区を勝ち上がった馬場伸幸代表(59)、藤田文武幹事長(44)コンビが一新されたのはそういう事情からだ。批判の急先鋒に立ち上がったのが『大阪維新』創設者の1人、浅田均参院議員(74)だった事からも、いらだちがうかがえる。 自公与党が圧倒的に強かった時期の国会運営に携わってきた旧執行部にも言い分がある。『大阪維新』得意のスローガン「身を切る改革」は、実質的には議員定数と公務員の削減、公共事業の民営化がメイン。しかし、『日本維新』がいくらそれを声高に叫んでも、少数野党の国政の場では何も実践できない。 「全て多数決」の院内で出来る事は限られている。立憲嫌いの馬場が掲げた「第二自民党でいい」という議会戦術はそこから出てくる。藤田はもっとドライ。私に直接、こう話してくれた。「かつて自民党に協力した保守系新党はすべて吸収され消滅した。我々は独自で政権交代を目指す。そのためにはまず候補者を数多く立てることに全力を注ぐ」。『日本維新』執行部にすれば「大阪維新は国会の状況を何も分かってない」と不満が募った。 したたか前原の腕力は? そこへ登場したのが前原だ。吉村は『日本維新』の代表選に出馬し、8割を得票し圧勝。しかし、知事と『大阪維新』の代表、さらに国政ではとても手が回らない。国会には独自ルールが数多くあるから、衆院内にいないと分からないことは多い。その名代が共同代表の前原という訳だ。吉村は「私は大阪市交通局を民営化し大阪メトロにした。前原さんは国交相時代に関西3空港の連携民営化に動いた。よく似ている」と信頼を寄せている。 こうなると、馬場系『日本維新』のメンバーは面白くない。自分たちは少数野党で苦労してきたのに選挙直前に他党から移ってきた前原に従わなくてはならないからだ。しかも前原は〝壊し屋、疫病神〞と呼ばれ、永田町ではすこぶる評判が悪い。初当選の日本新党以来→民主の風→新党さきがけ→民主党→民進党→希望の党→国民民主党→教育無償化を実現する会→日本維新の会と渡ってきて、公党トップを務めるのは実に4回目。政策的には「非自民、非共産」で、左右両端以外は受け入れ、ストライクゾーンが広い。 夏の参院選の行方を決めるのが1人区の勝敗とあって、吉村は「野党協力」を盛んに口にする。公認候補で複数区と比例区をしっかり確保する代わりに、1人区は野党協力し自公政権を追い込む戦術だ。 以上、維新を巡る状況を駆け足で説明したが、それでは『日本維新』から議員離党や複数分裂はあるのだろうか? 政治家は理念でいかに異なっていても現実は「自分の選挙」がすべて。前原は政党をこれだけ渡り歩いても落選したことがない。長い間「自民党内野党」で離党経験もある石破茂総理(67)も同様に、自身の選挙はすこぶる強い。残念ながら『日本維新』を造反離党し出馬、吉村ブランド『大阪維新』からの刺客と争ってなお、再び議席を得ることができる現職議員は数えるほどしかいない。 『大阪維新』が健在な限り、『日本維新』はこれからも一定数の議員を国会に送り込める。一枚看板の吉村は弁護士で、かねがね「政治家は一生の仕事ではない」と言っている。このあたりは経歴や立場、発想までも元代表の橋下とそっくりだ。吉村が進退をかけ危険な賭けとなる3度目の都構想住民投票に臨む時こそ、党存亡の正念場となるに違いない。