元バレー選手大林素子、「デカい女は無理」一度あきらめた女優の夢を掴むまで
日本人の平均寿命が80歳を超えて、人生の道のりが押しなべて長くなった昨今。40歳を目前にして1度はあきらめた幼き日の夢をかなえるべく、女優として第二の人生をスタートさせたのが、元女子バレーボール日本代表の大林素子(50)だ。アスリートとしての輝かしい実績に捉われることなく、地道な活動で自ら道を切り開き、女優業に情熱を注いでいる。ライフワークとなっている主演舞台「MOTHER~特攻の母 鳥濱トメ物語~」の上演を直前に控え、夢追い人の原動力に迫る――。
大林といえば、180cmを超える長身を活かしてバレーボール界の名門の八王子実践高校在学中から活躍し、高校生にして全日本に選出され、五輪でも88年の韓国・ソウル大会、92年のスペイン・バルセロナ大会、96年の米国・アトランタ大会の3大会に連続出場し、日本代表のエースアタッカーとして奮闘した。 現役時代は日本バレーボール史上でも屈指の名選手だったが、意外にもバレーを始めたキッカケはコンプレックスの克服だったという。
バレーをはじめたキッカケはコンプレックス
「子供の頃から女優やアイドルに憧れていて、幼稚園のときからお芝居をやりたかったんです。でも、小学生になると背がどんどん伸びてきて。当時は『デカい女は女優やアイドル歌手は無理』と言われる時代でしたし、女のくせに背が高いという理由で学校でもイジメにも遭っていました」 そんな不遇の時代を救ったのが、当時放送されていたスポ根アニメの金字塔の「「アタックNo.1」だ。主人公・鮎原こずえの活躍に胸を躍らせて「これなら私の背の高さが活かせる」、「イジメていた人たちを見返せるかもしれない」と決意し、中学からバレーボール部に入部。 元々、運動神経が飛び抜けて良かったわけではなかったというが、努力を重ねてその才能を開花させていく。その後の活躍は前述のとおりだが、選手を引退後に頭に浮かんだのが幼き日の夢だったという。
引退後に頭に浮かんだ幼き日の夢
「バレーボールを引退して、『じゃあ、これから何をする?』というときに真っ先に頭に浮かんだのが、芝居だったんです。元々やりたかったことだし、無理かもしれないけど挑戦したい。このまま人生が終わったら、一生悔いが残るなと」 とはいえ、元バレーボール選手のもとに女優としての仕事がすぐに来るわけはなく、厳しい現実に直面する。 それでも、ひたすら前を向き続けて、06年には「GENJI~最後の源氏~」で初舞台を踏むと、10年上演の「ファウストの悲劇」など故・蜷川幸雄さん演出の3作品にも出演を果たすが、その裏には陰の努力があった。 「蜷川さんの舞台にはどうしても出たくて、2年くらい蜷川さんのもとに通ったんです。舞台を観に行かせて頂いて、稽古を見学させて頂いて、『私も舞台に出たいです』と手紙を書いて、自分が演技をしている映像を送って見て頂いて。全部、自分から動きました」