すべての命には存在意義がある。人と「害虫」が共生するための棲み分けとは? #豊かな未来を創る人
すべての命の存在意義を問い直す
── 私たち人間も、他の生き物と同様に自然の一部。そう考えると、そもそも「害虫・害獣」という言葉が、誰にとってのものであるのか? という問いが生まれてきます。 はい。私は、あくまで人間のエゴから生まれた言葉であるようにも感じます。例えば、多くの人が忌み嫌うゴキブリ。彼らは本来森に住んでいて、生態系の中では「分解者」といわれる役割を果たしています。倒木や動物の死骸などを食べて土に還すおかげで、植物たちが元気に育つことができる。彼らがいることで、命が巡っていくのです。ところが、「不潔」「気持ち悪い」という私たち人間にとっての理由だけで、「害虫」と呼んで命を奪う。それは、生態系の循環を壊すことにもつながっています。 ── 生態系全体を俯瞰する視座を持つ。その上で「人間」だけではなく、「地球に暮らす私たち」として、主語を転換して物事を捉えることが大切だと感じました。と同時に、これまでそうした視点を持って日常を過ごしてこなかったなと......。 そうですね。少なくとも社会において「害虫・害獣」に対する一方的な認識が根づいている背景には、メディアの影響もあるのではと私は感じています。 例えば春になると、「スズメバチの巣を駆除する達人!」といったような特集がテレビなどで取り上げられますよね。ですが先ほどと同様、スズメバチにも地球上における存在意義というものがあるのです。肉食の彼らが完全にいなくなってしまうと、今度は他の昆虫が大量発生して農作物に被害が出る可能性も。これはあくまで人間にとっての利益を考えた場合ですが、要は生態系のバランスが崩れてしまう。だから、彼らが単に駆逐されれば良いという話ではないのです。 その視点があれば、例えば駆除だけではなく、スズメバチに攻撃されないようにする対策や、巣ごと別の場所に移動させるという選択肢などを、一緒に提示することもできるのではと思います。 やはり私たちは、いわゆるヒーローを作りたい傾向があるようにも感じます。「スズメバチは悪者で、ミツバチは花粉を運んでくれるから正義の味方」。そうしたわかりやすい価値観に飛びつくことは楽ですが、すべての物事には多面性がある。一つの側面にしか光を当てないことで思考停止に陥り、どこかに歪が生まれていってしまうのではないでしょうか。