すべての命には存在意義がある。人と「害虫」が共生するための棲み分けとは? #豊かな未来を創る人
── その感情の蓋を開けてみて、何を感じましたか? その感情を直視した上で、改めて父の仕事に目を向けてみると、決してそれが「恥ずかしい」ものではなかったと気づいたんです。 父が銀座にオフィスを構えて創業した1960年を調べてみると、今は綺麗な東京駅付近も、当時はまだ道路が土の状態で、その中に近代的なビルが次々と建っていく最中だった。そうした環境下では、やはり害虫・害獣の駆除が、人々の暮らしを清潔に守るという目的に対して有効であり、必要な手段だったのだなと。さらに、その一方で思ったことは、手段は時代に応じて変えていくべきなのではということでした。 というのも、私たち業者が用いる殺虫剤というのは、建築物衛生法の規定によって1970年から何度か薬品の成分が変わっているのです。けれど、その都度生き物は薬品に対する耐性をつけていく。つまりいくら薬品を変えても、一定数生き残る者が現れて、追いかけっこになってしまう。にもかかわらず、殺虫剤という手段をこれ以上使い続けるのは賢くないと感じるようになりました。 そして、人間はクリエイティブで倫理的な考え方ができる生き物であるはずなのに、「殺す」というサイクルからいつまでも脱出できないのはなぜなのだろう。そんな疑問も生まれてきました。
── それまで社会的に認められてきた、生き物の殺生に疑問が生まれてきたと。 はい。それは私自身、いくつもの生き物の命に対峙してきたからかもしれません。駆除の現場では、虫もネズミも苦しんで死んでいくのです。例えば、ネズミを駆除する方法の一つとして、粘着板によるトラップを仕掛けて捕まえるものがあります。苦しそうにもがくお母さんネズミ。そのそばでまだわずかに動いている小さなネズミの子どもたち。それを回収して処分しなくてはなりません。生き物の命をゴミにして捨てる。それは命に対してとても失礼ではないか。そんな葛藤が自分の中で膨らんでいきました。 これは一体誰が幸せになる仕事なのか。依頼主は幸せになれたとしても、生き物やそれを実行するわれわれはどうか。そんな自問自答を繰り返すうちに、駆除という業務を担いながらも、「命を奪いたいわけではない」という、自分の本当の気持ちにもはっきりと気づきました。 命を粗末に扱うことなく、私たち人間も安全かつ快適に暮らせる環境づくりを模索すること。それこそ、この家に生まれた私がこの会社を営む意義であり、自分の使命なのだと思い至りました。 そこに気づいてようやく、「人と自然が共存できる、都市衛生の未来を創造する」という、事業ミッションを新たに言語化できたのです。そしてそれを自分の言葉で社員みんなに伝えることができました。父が大切にしてきた事業への想いを受け継ぎながら、次の未来に向けた、自分なりの一歩を踏み出せた気がします。