【復刻】小倉智昭さん、体感せずにはいられない/日曜日のヒーロー
「おはようございます!」。月曜から金曜までお決まりのあいさつでテレビ画面に登場する小倉智昭(59)は、大のスポーツ好きでもある。目前に迫ったサッカーW杯もドイツに乗り込む。02年日韓共催大会は、観戦のために総額600万円以上をつぎ込んだ。不遇だった30代前半を乗り越え、糖尿病と付き合いながら、ゴルフは年間約250ラウンド。陸上競技で国体にも出場したアスリート系キャスターの素顔に迫る。(2006年6月4日掲載「日曜日のヒーロー」肩書や年齢など当時) 【写真】1985年、挙式をあげる小倉智昭さんと妻さゆりさん ★切り開いた道 うれしくてうれしくて仕方ない。フジテレビ「とくダネ!」のスタジオを飛び出してドイツからW杯を伝えることがたまらなく待ち遠しい。 「行きたい、行きたいと言い続けていたから、プロデューサーからすれば、仕方ないかって感じじゃないですか。スポーツのビッグイベントが大好きで、アテネ五輪にも行かせてもらった。幸せなことです」。 ワイドショーがスポーツを伝える。自分で切り開いてきた道が、ドイツにつながった。99年4月、番組を任されるとき「芸能人のプライバシーばかりを売り物にする番組には興味はない。政治も経済もスポーツも、広く伝える番組なら引き受けたい」と条件を出した。00年シドニー五輪も金曜日の放送後、現地に飛び、月曜日の午前6時着で帰国して本番直前にスタジオに飛び込むこと2回。04年アテネ五輪では大会を通して滞在し、金メダル16個を見届けた。その間、番組は1時間を小倉リポートに割いた。視聴率は10%を超え、他局のライバル番組を圧倒した。 「クロアチア戦の前から、日本が負けるまで現地にいます。1次リーグF組は、ブラジルが3勝で抜けた場合、残り3チームが1勝2敗で食い合う可能性があるから、得失点差を考えると3戦目でブラジルとやれる日本は断然有利。ブラジルは1、2戦を勝てば上に行けるから、クロアチア、オーストラリア相手には全力を出すでしょう。逆に日本戦では決勝トーナメントに備えて控えが中心。それにジーコがブラジルのベンチに向かってほほ笑めば何とかなるでしょう」。 02年日韓大会では観戦のために大金を投じた。 「大会直前になってチケットを探したら、フルコースの食事、駐車場付きの高額チケットしか残ってなかったんです。日本戦2試合、準決勝、決勝の計4試合4席ずつで計600万円以上でした。でも、日本でのW杯はもう2度と見られないと思いましたから。テレビでもビデオ録画も含めて64試合全部見ました」。 ★浪人中に国体 子供のころからスポーツ好きだった。秋田で生まれ、父親から「勉強よりも、体を鍛えて、友達を多くつくりなさい」と言われるままに育った。中学で東京の世田谷に転居。父親は「東京に来たからには勉強も頑張れ」と言うようになったが、学校の成績よりも陸上の100、200メートルの記録を伸ばすことに夢中だった。 「成績は体育の5以外はオール3。高校は補欠で中大付に入ったけど、陸上部で嫌いだった先輩がいる中大には進学したくなかった。上智を受けたけど不合格。浪人中も予備校が3日で嫌になって、さぼって陸上競技場で練習してました。競技会に出たら、東京陸連から『国体出場決定おめでとう』の通知が届きました。怒る父親に土下座して『行かせてください』ってお願いしてね」。 独協大仏語科に入学後も陸上部に入ったが、2年で退部した。 「足のけがと、浪人時代から始めたバンド活動で稼げるようになって、すっぱりやめました。当時はグループサウンズ全盛。僕はボーカルとベースをやってたけど、もてちゃうから楽しくてね。プロになるつもりでいたら、みんな志が違って群馬テレビとか朝日新聞とかに入って、僕は独りぼっち。4年になって就職課に行って、フジテレビアナウンサー募集の掲示を見つけ『成績が悪くても口でごまかせるならいけるかも』と思って受けたんです」。 フジは約2万人から6人の段階まで残ったが、最終選考で落とされた。その時、合格したのが須田哲夫アナウンサー。文化放送は1次で落ちたが、東京12チャンネル(現テレビ東京)秋募集でテレビ界入りを果たした。2カ月で競馬の実況を担当。「競馬の小倉」で有名になる一方で「小倉の野郎はてんぐになっている」と批判された。私生活でも最初の妻と離婚。「このまま局にいるとダメになる」と悩んでいた時、大橋巨泉から「うちの事務所に来ないか」と誘われ、5年半で退社。29歳の決断だった。 「苦しい生活が始まりました。巨泉さんは厳しい人で、競馬番組では使ってもらっても、その他のことはほったらかし。要はこの世界は力がないと生き残れない。後になってその考えが分かったけど、電気、水道、ガスも全部止まって、質屋に行ったら『あら、お帰りなさい』って。巨泉さんに六本木ですしをごちそうになったのはいいけど、帰る金がないから府中の自宅まで(約25キロ)歩いて朝7時に着いたこともありました。それでも前向きでした。いつかチャンスが来るって」。 ★36歳での転機 道は36歳で開けた。TBS「世界まるごとHOWマッチ!!」のハイテンションのナレーションが話題になり、入社試験であっさり落ちた文化放送のレギュラー番組も受け持った。生活が潤い、飲み食いで金を使えることがうれしかった。37歳で糖尿病が発覚。酒をやめ、1日1400キロカロリーの食生活が始まった。 「98キロあった体重が3カ月で63キロ。毎日3軒ハシゴの生活で8000キロカロリー以上だから、当然なんですけど。両親、姉も糖尿。なるべくしてなった感じです。今でも食事の前にインスリン注射を打ってますよ」。 38歳で15歳下の現夫人と再婚。休日は一緒にクレー射撃を楽しんでいたが、46歳で北海道のコースの会員権を買い、ゴルフを始めた。 「すぐにこれは今までやったスポーツとは違うと思って、レッスンプロに習い始めました。『その年齢で始めたならハーフ46になれば』と言われたけど、勝手に『3年でシングルになる』って決めました。1年でラウンド90を切り、1年半で80を切り、3年で本当にシングルになったんです」。 ゴルフ歴は13年目に入ったが、熱は一向に引かない。週末3日間で計5ラウンド。月曜日は休むが、そのほかの日も「とくダネ!」が終わるや、千葉や埼玉のコースに出向き、ラウンドする日もある。 「仕事はなるべく、朝と夜に固めています。ラウンド数は年間250ぐらい。今のハンディは7・4。競技に出ても、いつも準優勝どまり。考えてみれば、スポーツではいつも1番になれない。陸上では200メートルで8位だし、五輪も目指したクレー射撃は日本選手権に出ても、決勝には残れない。ゴルフはもっと上には上がいますから」。 ★みのを意識 本職だけはトップの座にいる。「とくダネ!」は01年2月から64カ月連続で横並び視聴率1位を維持している。 「それは僕だけの力じゃないですから。ただ、僕は59歳になってもきかん坊みたいなところがあって、見ている人がこんな気持ちだろうっていう時は怒ったりもする。でも、みのさんは毎日怒ってますよね。こっちも大変ですよ」。 TBS「朝ズバッ!」を仕切るみのもんたは気になる存在だ。放送時間も30分が重なる。だから8時からのオープニングトークで、どれだけTBSから視聴者を動かせるか、毎日が真剣勝負だ。 「みのさんは役者だし、今までのキャスターとは違うキャラですよね。人を引き付ける力がすごい。顔を合わせれば、お互いが気になる血糖値の話ばかり。でも、今でもすごく飲んで寝ないで働いてますよね」。 睡眠時間は3時間半。短さで負けていない。ゴルフ以外にも本3冊、DVDで映画1本、自慢のオーディオルームでの音楽鑑賞が日課。夜のニュース番組もチェックして午前0時に就寝する。そんな日常をスローダウンするつもりはさらさらない。 「僕ら団塊の世代は、いつまでも何かやりそうなところがある。今、仲のいい寺尾聡、西田敏行、タケちゃん(ビートたけし)とか、みんな若いですよ。『ありがとう』と肩をたたかれるまでは、この仕事をやろうと思います」。 エネルギッシュに酸いも甘いも経験してきた59歳。これからも見たまま感じるがままを、茶の間に伝えていくのだろう。 ◆小倉智昭(おぐら・ともあき)1947年(昭22)5月25日、秋田県生まれ。独協大卒業後、東京12チャンネル入社。76年、大橋巨泉事務所入り。TBS「世界まるごとHOWマッチ!!」で「1秒間に18文字の原稿を読める男」として脚光を浴びる。陸上の記録は100メートル10秒9など。ゴルフ好きのため、今日4日最終日の男子ツアー「JCBクラシック仙台」応援団長に。5月25日にはセレクトCD「聴いてとくダネ!モーツァルト」を発売した。173センチ、73キロ。血液型B。