「機械学習パラダイス」の日本、AIと著作権をめぐる議論の現在地。上野達弘さんインタビュー前編
「営利目的でも適法」日本の情報解析規定が妥当である理由
―上野さんは、自由な機械学習を許容した日本の情報解析規定を「活かすべきだ」とおっしゃっています。この規定が評価されるポイントはどこにあると考えていますか? 上野:議論が分かれるところだと思いますが、情報解析規定の趣旨については、一般にいくつかの考え方があります。 よく海外で言われるのは、日本はテクノロジーの国だから、テクノロジーを発展させるために著作権を後退させたのだろうという見方です。これは技術や産業の発展のために著作権の制約を正当化する考え方で、これを支持する人もいるのですが、この考え方に対しては、なぜ文化が産業に劣後しなければならないのか、といった反論がありえます。 実際のところ、日本の情報解析規定については、これとは異なる説明がされてきました。というのも、日本の情報解析規定である30条の4というのは、機械学習のような情報解析を「非享受利用」と位置づけているのです。 著作物というものは、映画を観たり、本を読んだり、漫画を読んだりして楽しむ、誰かが「享受」するものです。そして、著作権は、そのように著作物が誰かに「享受」されることを前提に、そのために行なわれる利用行為をカバーしている。そのような著作権があるからこそ、著作者に対して利益が還元されるのです。 上野:けれども、AIによる機械学習は著作物をあくまで「データ」として見ているにすぎません。そこでは、誰も著作物の表現を「享受」することはありません。 例えば、SNSの書き込みを集めてきて、そこで用いられる言葉の頻度を解析して、将来の商品流行を予測する場合も、書き込みという著作物の表現は誰にも享受されません。また、大量の医学論文を集めてきて、これを解析することによって新しい治療法や医薬品を生み出すAIを開発するという場合も、あくまで論文を機械的に分析しているだけで、その表現は誰にも享受されません。 このように日本の著作権法では、機械学習などの情報解析が「非享受利用」の典型例と位置づけられています。そのような情報解析のための著作物利用が非享受利用である以上、そもそも著作権がカバーすべき本来的な行為ではないのだから権利が及ばなくて当然と考えられます。これが日本法の考え方であり、私自身もこれは妥当なものと思っています。 ―なるほど。 上野:一方で、昨今の急速な生成AIの発展のために、この情報解析規定を問題視する声もあります。 特に学習が進んだAIによって仕事が失われるのではないかという懸念もあり、営利目的でも営利目的でなくても、とにかく自分の作品を勝手にAI学習されたくないという意見があるのは事実かと思います。